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カテゴリ:答唱詩編
123 主はわれらの牧者
【解説】 この答唱詩編で歌われる、詩編23はよく知られている、牧者としての神に対する信頼と感謝を歌ったもので、牧歌的な美しい表現に満ちています。キリストは、この詩編23とエゼキエル書の34章に従い、「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:11)と述べています。この詩編の5-6節は、天のエルサレムにおける永遠の宴を預言しており、これはまた、キリストによって制定された、ミサの予型でもあります。 答唱句の冒頭、旋律は最高音のC(ド)から始まり、再び「牧者」でC(ド)が用いられます。後半、「わたしは」では、最低音のD(レ)、続く音はE(ミ)と低い音が用いられます。また、「とぼしいこと」ではバスの最低音B(シ)が用いられますが、そこまで、バスは下降し、祈りを深めます。「主」と「牧者」、「わたしは」と「とぼしいこと」と、対照を成すことばが音でもはっきりと表現されています。前半の「われらのぼくしゃ」は、和音が非常に密集しており、羊であるわたしたちの弱さ、養っていただくことに対する謙遜を表しているといえましょう。 ホームページの「答唱詩編」のところでも述べましたが、詩編唱は、旋律伴奏ともに、17.18「いのちあるすべてのものに」とまったく同じで、「わたしたちを養ってくださる神」という、同一の主題で、詩編唱の統一がはかられています。この、詳細は、ホームページの「答唱詩編」をご覧ください。 【祈りの注意】 この答唱句は、ややもすると、非常に間延びして歌ってしまうことが多いのではないでしょうか。四分音符=72を、メトロノームで実際にはかってみると、それほど早くはありませんが、間延びしない緊張感が必要です。「主は」の後の八分休符は、次の「われら」のアルシスを生かすものですが、この八分休符を緊張感を持って、しっかりと取るようにしましょう。この八分休符は、音がないのではありません。オルガンの伴奏は続いていますし、何よりも、祈りが続いています。休符は、音がないのではなく「ない音がある」のであって、音楽も、特に『典礼聖歌』では、祈りが続いていることをよく覚えておいてください。 ます「主」「われら」「ぼくしゃ」のアルシスをよく生かして歌いましょう。「牧者」では、主こそわたしたちを養ってくださる「牧者」という、信仰告白を強く表現するように、テヌート気味にしますが、決して間延びしないように、緊張感も保ちましょう。 後半「わたしは」からはテンポをもとに戻しますが、「とぼしい」あたりから、rit. しておさめます。 詩編唱ですが、4節は、どの小節もことばが短いので、他の節よりもゆっくり歌うようにします。こうすることで、全体のバランスが良いものとなり、何よりも、ことばを落ち着いて味わうことができ、ひいては、祈りが深まる のです。 今日の、第一朗読と答唱詩編、福音朗読に共通する主題は、神の国の宴です。第一朗読で言われている「死を永久に滅ぼしてくださる」「主なる神」によって、「わたしはとこしえに、神の家に生きる」のであり、わたしたちは、「いつくしみによって正しい道に導かれ」、この「婚宴」に招かれていることを忘れないようにしたいものです。 【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.26 07:56:50
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