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聖歌は生歌

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2006.01.13
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カテゴリ:答唱詩編
35 神に向かって

【解説】
 今日の詩編唱で唱えられる詩編95:1,2から、この答唱詩編の答唱句が取られています。この詩編95は、神殿の神の前に進み出て礼拝を促す(2節)巡礼の形式で始まります。後半は、荒れ野における歴史を回顧し、神に対する従順を警告しています。1節の「救いの岩」をパウロは、1コリント10:4で「この岩こそキリストだったのです」と述べ、この前後の箇所では、イスラエルの先祖が荒れ野で犯した、偶像礼拝について記しています。また、ヘブライ3:7-11,15でもこの箇所が引用され、キリスト者も不信仰に陥らないように警告しています。
 8節の、「きょう、神の声を聞くなら、・・・・ 神に心を閉じてはならない」という箇所から、この詩編は、『教会の祈り』で、一日の一番最初に唱える「初めの祈り」の詩編交唱の一つになっています。「きょう」ということばは、ただ「昨日」「今日」「明日」という、連続した日の一つではなく、このことばによって、今、読まれる、あるいは、読まれた神のことばが、そのときその場に実現することを意味しています⇒《祭儀的今日》。ナザレの会堂でイザヤ書を読まれたイエスが、「この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)と話されたことを思い起こしてください。

 答唱句は、冒頭、旋律が「神に向かって」で和音構成音、「喜び歌い」が音階の順次進行で上行して、最高音C(ド)に至り、神に向かって喜び歌うこころを盛り上げます。また、テノールも「神に向かって」が、和音構成音でやはり、最高音C(ド)にまで上がり、中間音でも、ことばを支えています。前半の最後は、6度の和音で終止して、後半へと続く緊張感も保たれています。
 後半は、前半とは反対に旋律は下降し、感謝の歌をささげるわたしたちの謙虚な姿勢を表しています。「感謝の」では短い間(八分音符ごと)に転調し、特に、「感謝」では、いったん、ドッペルドミナント(5度の5度)=fis(ファ♯)から属調のG-Durへと転調して、このことばを強調しています。後半の、バスの反行を含めた、音階の順次進行と、その後の、G(ソ)のオクターヴの跳躍は、後半の呼びかけを深めています。
 詩編唱は属音G(ソ)から始まり、同じ音で終わります。2小節目に4度の跳躍がある以外、音階進行で歌われますから、歌いやすさも考慮されています。また、4小節目の最後の和音は、答唱句の和音と同じ主和音で、旋律(ソプラノ)とバスが、いずれも3度下降して、答唱句へと続いています。

【祈りの注意】
 答唱句は、先にも書いたように、前半、最高音のC(ド)に旋律が高まります。こころから神に向かって喜び歌う」ように、気持ちを盛り上げ、この最高音C(ド)に向かってcresc.してゆきますが、決して乱暴にならないようにしましょう。また、ここでいったん6度での終止となりますし、文脈上も句点「、」があるので、少しrit.しましょう。ただし、最後と比べてやり過ぎないように。後半は、テンポを戻し、「うたを」くらいから、徐々にrit.をはじめ、落ち着いて終わるようにします。
 答唱句、全体の気持ちとしては、全世界の人々に、このことばを、呼びかけるようにしたいところです。とは言え、がさつな呼びかけではなく、こころの底から静かに穏やかに、砂漠の風紋が少しづつ動くような呼びかけになればすばらしいと思います。

 詩編唱は第一朗読、申命記を受けています。預言者は、ここに書かれているとおり、神が命じられたことを民に告げるのがその役割です。ですから、預言者は、勝手に「神のことば」と称して何かを語った場合には、その責めを神の前に負わなければなりませんが(20節)、反対に、預言者が神の名によって語ったことに民が聞き従わないときには、その人が、追求されるのです(19節)。
 多くの人は、イエスのことを「預言者」と捕らえていましたが、会堂にいた男に取り付いていた汚れた霊(複数)は、それ以上の「神の聖者」であったイエスに、必ず聞き従わなければならないことを知っていたのです。
 詩編唱は、このような、神の預言者、神の聖者のことばに聞き従うことを促して歌われます。神の預言者、神の聖者のことばは、神の名によって語られたものだから、「きょう、神の声を聞くなら、神に心を閉じてはならない」からなのです。
 詩編を歌うことは、まさに、この「神の預言者」であることを、ぜひこころに留めていただきたいと思います。

【参考文献】
『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)

《預言(者)と予言(者)》
 「預言(者)」と「予言(者)」。この二つのことばは、キリスト教の中でも混同されていますが、実は、大きな違いがあります。
 「預言(者)」は、今日の申命記の朗読にもあるように、神が命じることを神の名によって語る(者の)ことです。すなわち、神から、神のことばを「預かって」語ることから、「預言(者)」と書きます。
 一方、「予言(者)」は、「ノストラダムスの大予言」などがありますが、未来のことを予め(予測して)語る(者の)ことを言います。
 このように「預言(者)」と「予言(者)」には、大きな意味の違いがあるのですが、発音が同じことから教会や神学者の中でも、これらを混同していることが多々あります。
 予言(者のことば)は、確信があるわけではなく、聞き従う必要はありません。しかし、預言(者のことば)は、神が命じた確かなもので、必ず聞き従わなければならないのです。 





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Last updated  2006.01.18 12:56:33



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