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カテゴリ:答唱詩編
114 主は豊かなあがないに満ち
【解説】 この、詩編32は、「回心の7つの詩編」(他に、6、38,51,102,130,143)の一つで、アウグスティヌスが好んで唱えた詩編です。詩編の類型としては、個人的な感謝の詩編で、罪の赦しを受けた人の感謝の歌です。詩編の表題には、「ダビデの詩」とあり、バトシェバと姦通を犯したダビデが、預言者ナタンの叱責を受けて、自らに死刑宣告をした後、その罪を赦されたことに感謝して(サムエル記下12:1-15)歌った歌とされています。 答唱句は、詩編唱と同じ歌い方がされるものの一つ(他に「神よ あなたの顔の光を」、「父よ あなたこそ わたしの神」)です。バスは、常にD(レ)で持続しますが、この、答唱句の確固とした信仰告白を力強く表しています。 詩編唱は、第1・第3小節の終止音の四分音符(主に「、」)が、その前の全音符から、2度高くなっており、第2・第4小節では(主に「。」)2度下降しています。さらに、各小節の冒頭の音が順次下降しており(1小節目=A(ラ)、2小節目=G(ソ)、3小節目=F(ファ)、4小節目=E(ミ))、文章ごとのバランスをとりながら、ことばを生かしています。 この詩編唱は、当初、『典礼聖歌』(分冊第二集=31ページ)で、旧約朗読後の間唱として歌われた「主よ よこしまな人から」(詩編140)に用いられていました。現在、『典礼聖歌』(合本)で歌われる詩編唱の第3・第4小節が「主よ よこしまな人から」の答唱句として、第1・第2小節が、同じく詩編唱として歌われていました。 「主よ よこしまな人から」が作曲されたのは、典礼の刷新の途上だったため、新しい詩編や朗読配分、などが確立したときに、この曲は使われなくなり『典礼聖歌』(合本)には入れられませんでしたが、新しい答唱詩編である「主は豊かなあがないに満ち」の詩編唱に受け継がれました。 【祈りの注意】 解説にも書きましたが、答唱句は、詩編唱と同じ歌い方で歌われます。全音符の部分は、すべて八分音符の連続で歌います。「豊かな」と「あがない」の間があいているのは、読みやすくするためです。また、「あがないに」と「満ち」、「いつくしみ」と「深い」の間があいているのは、楽譜の長さ(答唱句と詩編唱の)をそろえたための、技術的な制約によるもので、こらら赤字のところで、息継ぎをしたり、間をあけたり、赤字のところを延ばしたりしてはいけません。下の太字のところは、自由リズムのテージス(1拍目)になります(*は八分休符)。 主はゆたかなあがないに満ちー*|いつくしみふかいー* 詩編唱は、第一朗読を受けて歌われます。人祖の犯した罪のゆえに、人類はもとより、すべての被造物がうめき苦しんでいます。しかし、洗礼によってキリストの死と復活に結ばれたわたしたちは、その罪の束縛から解放されたのです。詩編の先唱者は、それを深く感謝して歌いましょう。 答唱句は、その詩編のことばに対して「主はゆたかなあがないに満ち、いつくしみ深い」と答えます。詩編と同じく、八分音符の連続ですが、包丁がまな板を鳴らすような歌い方に鳴らないようにしましょう。 冒頭は、きびきびと歌い始め、1小節目の終わりで、rit. し、ほぼ、そのテンポのまま「いつくしみ」に入り、最後は、さらにていねいに rit. して終わります。全体は、P で、最後の答唱句は PP にしますが、それは、この答唱句の信仰告白のことばを、こころの底から、深く力強い、確固としたものとするためです。決して、気の抜けたような歌い方にならないようにしてください。 【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.29 16:15:46
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