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カテゴリ:答唱詩編
69 神よあなたのいぶきを
【解説】 今日の答唱詩編で歌われる詩編104は、前の詩編103と同じく「創造」が主題となっています。また、はじめと終わりに同じ繰り返しのことばが当てられています。この詩編104は、ほぼ、創世記1章にある「創造物語」の順序に従って、神の創造のわざが述べられています。特に、31節は、諸物創造の後、神が言われたことば「神はそれを見て、良しとされた」(1:10他)に対応しています。その一方で、29節は、楽園物語における人間の創造(2:6、3:19)をも思い起こさせます。創世記1章2節を指す、この詩編の30節は、また、キリストの過越と昇天を通してもたらされた聖霊の派遣(ヨハネ14:15-31)=聖霊降臨によって始まった「新しい創造」と結び付けられて、この日の主題ともなっています。 ちなみに「創造」(ヘブライ語=バラー)と言うことばは、聖書では、必ず「主=神」が主語となっています。 前回の「主の昇天の答唱詩編」のところでも少し触れましたが、この「神よあなたのいぶきを」は「主はのぼられた」と対になっています。冒頭、旋律は「主はのぼられた」の最高音H(シ)より半音低いB(シ♭)から始まります。この音は、ミサの式次第では、司祭の音=奉仕者の音ですから、聖霊の発出は、神がわたしたちのほうに、歩み寄って=一歩降りて、奉仕してくださるものであること、神のいつくしみ深い被造物への配慮であることを表しています。伴奏の冒頭も、バスとテノールが省略されており、聖霊の派遣が、天からのものであることを伴奏でも表しています。 さて、旋律は徐々に下降し、最後は「主はのぼられた」の冒頭の音と同じD(レ)に降りて終わりますが、この音はやはり、ミサの式次第の最低音です。このD(レ)はバスの終止音でも同じ(旋律とは2オクターヴ離れています)で、これらは、神のいぶきである聖霊が、その派遣を約束された主がのぼられたのと同じ、地上に降りてきて、世界に広がってくださったことを表しています。 詩編唱は、ドミナント(支配音)であるA(ラ)を中心に、上下の音B(シ♭)とG(ソ)だけです。これは、あたかも、「炎のような舌が・・・・・一人一人の上にとどまった」(使徒2:3)ことを思い起こさせ、また、暗示しています。答唱句も詩編唱も先の112「主はのぼられた」と同じく、典礼暦年の流れを考慮して作られたものです。 【祈りの注意】 答唱句は全体、聖霊が降りてくる様子を表すようにすることは、言うまでもないことです。最初の「神よ」は、しっかりとした呼びかけとしましょう。ただ、その後の「あなたの」が、だらだらすると、答唱句全体のしまりがなくなりますので、ここは、冒頭より、やや、早めに歌うつもりで入ってください。そのためには、「あなた」の前の八分休符で、このテンポをとるようにします。この八分休符は、テンポをとる上でも、「あなた」のアルシスを生かす上でも大変重要な八分休符です。以前にも書きましたが、この休符は 詩編唱は、聖霊の派遣・発出、キリストによる新しい創造を深く黙想できるように、準備してください。なお、詩編唱の1節の1小節目は「主なる神」と、5音節ですので、かなりゆっくりと入ってください。そして、次の2小節目の「あなたは~」から基本のテンポにすると、最初があわてて聞こえるようなことがありません。ただし、2小節目も1小節目と同じ速さにしてしまうと、詩編唱がだらだらとしてしまい、祈りのことばを黙想できません。 詩編唱の特に、3節目は、神ご自身が「作られたものを良しとされた」こと、わたしたち自身が神のみ旨を行うことができるように、また、わたしたちのすべてが、いつも、神中心であるようにと祈るものです。これはまた、マタイ福音書の「神の前に貧しい人(霊において貧しい人)」で始まる「真福八端」と共通しています。主の復活を力強くのべ伝えた、初代教会の先達たちと同じように、わたしたちは、いつも、神中心、神だけがよりどころであるかどうかを、この詩編によって、あらためて振り返ってみる必要があるかも知れません。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.05.14 16:37:34
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