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カテゴリ:答唱詩編
66 神はわたしを救われる
【解説】 詩編30は瀕死の重病から救われた人の感謝の祈りです。 死は「死の国(よみ)、墓(穴)、滅び、ちり、嘆き、荒ら布」、いのちは「喜び、恵み、踊り、晴れ着」と対照的にたとえられ、神による救いが強調されています。 答唱句は、珍しくテージス(小節線の後ろ)から始まります。旋律の音は、G(ソ)、A(ラ)、C(ド)の三つの音で、その他の声部の音も大変少ない音で構成されています。文末以外は、ほとんどが八分音符で、「すくわれる」と「たたえよう」で四分音符が用いられて、ことばが強調されています。とりわけ「たたえよう」では、アルトのAs(ラ♭)とテノールの最高音E(ミ)で、信仰告白のことばが高められています。さらに、テノールは冒頭から「いつくしみ」までC(ド)が持続して、神への信頼と救いの確信が表されています。 詩編唱は、3小節目でバスに臨時記号が使われ(Fis=ファ♯)、緊張感が高められますが、4小節目は5の和音で終止し、旋律も答唱句の冒頭と同じ音になり、落ち着いて終わります。 【祈りの注意】 冒頭は、指定の速度の、四分音符=72よりやや早めで始めるとよいでしょう。八分音符が連続しますので、メトロノームで計ったように歌うと、歌はもちろん この答唱句は、「神はわたしを救われる」と現在形になっています。神の救いのわざ(仕事)は、かつて行われて終わってしまったのでもなく、いずれ行われるのでそれまで待たなければならないものでもありません。神の救いは、今も、継続して行われています。その、顕著なものが、やはりミサではないでしょうか。ミサは、キリストの生涯の出来事を思い起こす福音朗読と、その救いの頂点である主の過越=受難-復活-昇天を記念=を、そのときその場に現在化するものです。このミサが、世界のどこかで、必ず継続して行われている。それを、この答唱詩編は思い起こさせてくれます。そのことを思い起こしながらこの答唱句を歌うことが、祈りを深め、ことばを生かすことになると思います。 今日のこの詩編は、まさに、第一朗読の知恵の書と福音朗読との架け橋であることは、この、三つの朗読を読めば一目瞭然です。いのちの源である神は、「御自分の本姓の似姿として」人間を造り、「生かすために万物をお造りに」なりました(第一朗読より)。キリストの生涯、また、ミサは、世に新しいいのちをもたらす、救いの秘跡です。 ここで思い出すのですが、以前、ある司教さんが説教で、よく、話されていたことですが、わたしたちのささげる祈りやミサが自分たちのためだけのものならば、自己中心的で利己的になってしまいます。わたしたちのささげる祈り・ミサが、すべての人の、あるいは、万物の救いとなるように広い心を持ちたいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』(詩編は異なります) 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.06.16 13:32:01
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