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カテゴリ:答唱詩編
116 主は豊かなあがないに満ち
【解説】 詩編123は、都に上る歌=巡礼の歌の一つで、全部で4節と、詩編集の中では詩編117の次に短いものの一つです。最初、主語が「わたし」で始まりますが、すぐに(2節から)「わたしたち」に変わります。バビロン捕囚から帰還した民が、周囲のさげすみとあざけりに耐え忍びながら、神に対する深い信頼を歌ったものです。 答唱句は、詩編唱と同じ歌い方がされるものの一つ(他に「神よ あなたの顔の光を」、「父よ あなたこそ わたしの神」)です。バスは、常にD(レ)で持続しますが、この、答唱句の確固とした信仰告白を力強く表しています。 詩編唱は、第1・第3小節の終止音の四分音符(主に「、」)が、その前の全音符から、2度高くなっており、第2・第4小節では(主に「。」)2度下降しています。さらに、各小節の冒頭の音が順次下降しており(1小節目=A(ラ)、2小節目=G(ソ)、3小節目=F(ファ)、4小節目=E(ミ))、文章ごとのバランスをとりながら、ことばを生かしています。 この詩編唱は、当初、『典礼聖歌』(分冊第二集=31ページ)で、旧約朗読後の間唱として歌われた「主よ よこしまな人から」(詩編140)に用いられていました。現在、『典礼聖歌』(合本)で歌われる詩編唱の第3・第4小節が「主よ よこしまな人から」の答唱句として、第1・第2小節が、同じく詩編唱として歌われていました。 「主よ よこしまな人から」が作曲されたのは、典礼の刷新の途上だったため、新しい詩編や朗読配分、などが確立したときに、この曲は使われなくなり『典礼聖歌』(合本)には入れられませんでしたが、新しい答唱詩編である「主は豊かなあがないに満ち」の詩編唱に受け継がれました。 【祈りの注意】 解説にも書きましたが、答唱句は、詩編唱と同じ歌い方で歌われます。全音符の部分は、すべて八分音符の連続で歌います。「豊かな」と「あがない」の間があいているのは、読みやすくするためです。また、「あがないに」と「満ち」、「いつくしみ」と「深い」の間があいているのは、楽譜の長さ(答唱句と詩編唱の)をそろえたための、技術的な制約によるもので、これら赤字のところで、息継ぎをしたり、間をあけたり、赤字のところを 主はゆたかなあがないに満ちー*|いつくしみふかいー* 第一朗読の「エゼキエルの預言」は、バビロン捕囚の時、イスラエルの民に使わされたエゼキエルが回心を呼びかけるものです。詩編唱は、この、神からの回心の呼びかけに対して歌われます。神からの回心の呼びかけに答える民には、神のあわれみが必ず注がれる、という信頼があるのです。 なお、二回目には「栄唱」が歌われますが、もともと、詩編には栄唱があったわけではありませんでした。新約の民=キリスト者が、詩編を自分たちの祈りとするために、この栄唱を付け加えました。それは、ただ、詩編の祈りをキリスト者の祈りとするだけではなく、詩編に新約のメシア的な意味づけをすることでもあるのです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『聖週間の聖歌』〔在庫なし〕(詩編は異なります) 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.06.16 13:36:52
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