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カテゴリ:答唱詩編
8 荒れ地のかわき果てた土のように
【解説】 詩編54は、個人的な嘆願の詩編で、嘆願の特徴である、神への助けの願い-作者の状況-神への信頼-神への祈り-賛美と感謝、という一連の内容が、すべて含まれています。 答唱句では、旋律、伴奏ともに音階の順次進行や半音階を多く用いています。これによって、荒涼とした荒れ地の様子が表されています。とりわけ「土のように」では、バスが最低音になり、荒れ地の悲惨さを強調します。後半は、「かみよ」で、旋律が四度跳躍して、神を慕う信頼のこころ、神へのあこがれを強めます。なお、『混声合唱』版の修正では、「あなたを」のバスの付点四分音符は、C(『混声合唱』版の実音ではD)となります。 詩編唱は、ドミナント(支配音=属音)のGを中心にして唱えられます。どの節でも一番強調されることが多い、3小節目では、最高音Cが用いられています。4小節目の最後の和音は、F(ファ)-C(ド)-G(ソ)という「雅楽的なひびき」が用いられていますが、バスが、答唱句の冒頭のE(ミ)への導音となり、その他は、同じ音で答唱句へとつながります。 【祈りの注意】 答唱句、特に前半は、荒涼とした荒れ地の様子を順次進行や、特に半音階で表しています。レガート=滑らかに歌いましょう。「あれちのかわきはてたつちのように」で、太字の母音「A」は喉音のように、下線の子音はかなり強く発音します。また「あれち」は、sf =一瞬強くし、すぐに、弱くします。このようにすることで、荒涼とした荒れ地の陰惨さを、祈りに込めることが、また、この答唱句の祈りを、よりよく表現できるのではないでしょうか。前半は、「~のように」と答唱句全体では従属文ですから、「れ」以外p で歌います。和音も従属文から主文へと続くように、5度の和音となっています。 後半は、この答唱句の主題です。「神よ」の四度の跳躍で、「か」の部分は、その前の和音の続きで5度の9の根音省略形、「みよ」はどちらも主和音で力強さが込められ、p から、一気にcresc. して、神への憧れを強めます。その後は、f ないしmf のまま終わりますが、強いながらも、神の恵み、救いによって「豊かに満たされた」こころで、穏やかに終わりたいところです。 第一朗読の知恵の書で読まれる箇所は、まさに、主キリストの生涯・受難・死を思い起こさせます。イエスを裁いた最高法院の法廷は、本来開かれることのない夜中に開かれ、判決も本来無罪になるはずの全員が有罪の判決でした。この不名誉な死から、神は、主を「三日の後に復活」させてくださったのです。この「殺されて、三日の後に復活する」ということばを、弟子たちは恐れて聞くことはできませんでしたが、わたしたちは、洗礼によってこの神秘にすでに結ばれています。それはまた、毎回のミサでも体験していることなのです。感謝の典礼で行われるこの秘儀を思い起こしながら、この詩編を味わいましょう。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』(詩編は異なります) 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.04 12:39:36
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