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カテゴリ:答唱詩編
146 父よあなたこそわたしの神
【解説】 詩編71は、老人による嘆願の詩編で、大きく三つの部分に分かれます。
答唱句は、「神よ あなたの顔の光を」や「主はゆたかなあがないに満ち」と同じく、詩編唱と同じように歌われるものです。前半の信仰告白と、後半の信頼を込めた決意が、特に、バスのD(レ)の持続音で力強く表されています。 詩編唱は、最高音のA(ラ)から始まり、前半(1・2小節)、後半(3・4小節)ともに、音階の順次進行で下降しながら歌われ、詩編の内容を、一層深く味わう助けとなっています。 この、答唱句の旋律は、当初『典礼聖歌(分冊第二集)』で、ハバクク3:2を歌詞とした、「みことばを聞いてわたしはおそれ、主のわざを眺めておののいた」で、まだ伴奏がなく旋律だけでした。唱和(唱句)の部分は、父よ あなたこそわたしの神の詩編唱の、1-2小節と同じ音で歌われていました。聖金曜日の旧約聖書朗読後の間唱でしたが、典礼の刷新によって、答唱詩編が変更されたことから、『典礼聖歌』では、旋律を継続して新たな答唱詩編として再生されました。 【祈りの注意】 上にも書いたように、答唱句も、詩編唱と同じように、全音符はすべて、八分音符で歌います。途中、字間のあいているのは、楽譜制作上の理由(詩編唱と答唱句の楽譜の長さをあわせるため)によるものですから、そこで、 ちちよあなたこそわたしのかみー*|わたしのすべてをあなたにー* 上記の、太字のところは、自由リズムのテージス=(1拍目)です(*は八分休符)。 詩編唱の冒頭は、きびきびと歌い始めましょう。信仰告白のことばなので、ていねいに、と思い、だらだら歌うと、ことばが生かされません。 rit. は2小節目にだけありますが、1小節目の最後も、やや rit. するのはもちろんです。1小節目の最後で、やや rit. したあと、2小節目の始めは、テンポを戻(あるいは小戻し)して始めます。そして、2小節目の最後は、さらにていねいに rit. して終わります。『今日の聖歌』でも再三指摘していますが、多くの答唱句は、最終回で、特に、ていねいに rit. するとことばが生かされますが、この 「父よ あなたこそわたしの神」 も例外ではありません。また、全体のテンポもゆっくり目にしましょう。 音の強さは、全体に P ですが、最終回は、PP にすると、緊張感が増してきます。その、緊張感を表すように、「ちちよ」の最初の「ち」は無声音(音符の●のところが×になっているもの)で歌います。二回ある「わたし」の「し」も同様に無声音にしますし、「こそ」「すべて」の子音「S」を強くはっきりと発音するとよいでしょう。 第一朗読の「エレミヤの預言」では、神が預言者としてたてたエレミヤに対する、ユダヤの指導者たちの迫害に、エレミヤが、おののかないようにとの、神の励ましです。詩編も、この励ましに対する、神への信頼を歌います。エレミヤをはじめ、イスラエルの預言者たちは、神のことばを躊躇なく伝えたために、ユダヤの指導者たちから迫害を受けました。このことは、イエスも言っていますが、イエス・キリスト御自身も、神の一人子として、余すところなく、神のことばを伝えたため、最後は、エルサレムで十字架に付けられます。わたしたちも、もしかしたら、『聖書』の預言を耳にしても、それを聞き流していることがあるかもしれません。せめて、ミサの朗読だけでも、しっかりと耳を傾け、こころに刻み付けたいものですし、詩編を朗唱するときにも、しっかりと伝わるような準備=朗唱する詩編のことばを自分の体験としたいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『待降節・降誕節の聖歌』(詩編は異なります)
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Last updated
2007.01.10 11:34:05
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