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カテゴリ:答唱詩編
129 主を仰ぎ見て
【解説】 詩編91は、神に忠実である王に、預言者が神の保護を確約する詩編ですが、「盾」「矢」「不意打ち」と言った軍事的なことばがあることから、出陣する王に対しての託宣と考えられています。神の保護が美しく歌われることから、この詩編は「教会の祈り」でも、主日・祭日の「寝る前の祈り」として唱えられます。 答唱句は、同じ答唱句(128)で歌われる詩編34の6節から取られています。全体は、八分の六拍子で流れるように歌われます。冒頭の四分音符の次の八分音符が、テンポを決定する鍵で、これを含めた、連続する四つの八分音符が、テンポを持続させます。「を仰ぎ見て」の旋律の上昇音階と、旋律が「て」を延ばしている間に「ぎ見て」と歌われるバスの上昇音階が、主を仰ぎ見る姿勢を表しています。さらに「光を受けよう」で旋律が最高音C(ド)からG(ソ)へ下降することで、主から注がれる光を浴びて受ける様子を表します。また、その「よ」を付点四分音符で延ばす間、テノールとバスが「受けよう」を遅れて歌うことで、光が輝く様子も表されています。後半は、「主がおとずれる人の」で、バスとテノールがC(ド)を持続し、旋律は徐々に下降してゆくことで、主の光を受けた人の顔もこころも穏やかに落ち着いて輝くように、答唱句も静かに終止します。 第三音E(ミ)から始まった詩編唱は、第二小節で、最高音C(ド)に達し、最後は属音のG(ソ)で終わります。和音の開きが少なく、特にバスの音が高いので、全体的に響き渡るように歌われます。 【祈りの注意】 解説でも書いたように、冒頭の四分音符の次の八分音符が、テンポを決定する鍵で、これを含めた、連続する四つの八分音符が、テンポを持続させます。冒頭の四分音符の次の八分音符をやや早めに歌うことが、答唱句を活き活きとさせます。この四分音符が間延びすると全体のテンポもだらだらとしてしまいますので、そうならないように気をつけてください。旋律が「見てーーーーー」を八分音符5拍延ばす間に、バスが「おぎ見てー」と、仰ぎ見る姿勢を強調します。混声で歌う場合でなくても、この「見てーーーーー」をしっかりと5拍延ばし、 今日の詩編は、福音書にある、悪魔がイエスを荒れ野で試みた際に、三つ目の試みで、「こう書いてあるからだ」(ルカ4:10)と引用したものです。確かに、悪魔は誘惑で、この詩編のことばを引用していますが、詩編唱の3節=詩編91:14+15をわたくしたちは忘れてはならないと思います。ここでは、 神は仰せになる。「わたしに頼るものをわたしは救い、と歌われます。すなわち、神は、ご自分を知り(体験し)、信頼して呼び求める者を、いつも守り、その祈りに答え、さらに、悩みのときにさえ、ともにいて「救い」のみならず、「誉れ」まで与えてくださると、約束されているのです。イエスが悪魔の誘惑に合われても、その、人間的な部分で、くじけなかったのは、この詩編のことばをご自分のものとされていたからではないでしょうか。言い換えれば、悪魔は、詩編のこのことばを、自分の傲慢のゆえに忘れていたと言えるのかもしれません。 わたくしたちも、この四旬節の間はもちろん、生涯においても、この詩編のことばを心に刻んで、主イエス・キリストの道を歩めるように、この答唱詩編で祈りたいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』(詩編は異なります) 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.07 14:14:23
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