|
カテゴリ:答唱詩編
128 主を仰ぎ見て
【解説】 詩編34は個人的な詩編で、内容的には《知恵文学》と共通する点が多く(特に12-15節)、構成は、同じアルファベットの詩編25に似ています。それは、ヘブライ語の第6文字が省略されていることや、最後の23節目がアルファベットの配列外という点です。ちなみに、ヘブライ語のアルファベットは22文字ありますが、一字なくすことで、3組×7節=21節となります。ユダヤ教では、3も7も完全数になるからです。表題は、サムエル記21:11-16にある物語と一致しますが、詩編自体の内容はそれほど関連があるとは思われません。この曲では歌われませんが、9節に「深く味わって悟りを得よ」ということばがあることから、特に、古代教会ではミサの会食(拝領)の歌として用いられてきた詩編です。 答唱句は、同じ答唱句(128)で歌われる詩編34の6節から取られています。全体は、八分の六拍子で流れるように歌われます。冒頭の四分音符の次の八分音符が、テンポを決定する鍵で、これを含めた、連続する四つの八分音符が、テンポを持続させます。「を仰ぎ見て」の旋律の上昇音階と、旋律が「て」を延ばしている間に「ぎ見て」と歌われるバスの上昇音階が、主を仰ぎ見る姿勢を表しています。さらに「光を受けよう」で旋律が最高音C(ド)からG(ソ)へ下降することで、主から注がれる光を浴びて受ける様子を表します。また、その「よ」を付点四分音符で延ばす間、テノールとバスが「受けよう」を遅れて歌うことで、光が輝く様子も表されています。後半は、「主がおとずれる人の」で、バスとテノールがC(ド)を持続し、旋律は徐々に下降してゆくことで、主の光を受けた人の顔もこころも穏やかに落ち着いて輝くように、答唱句も静かに終止します。 第三音E(ミ)から始まった詩編唱は、第二小節で、最高音C(ド)に達し、最後は属音のG(ソ)で終わります。和音の開きが少なく、特にバスの音が高いので、全体的に響き渡るように歌われます。 【祈りの注意】 解説でも書いたように、冒頭の四分音符の次の八分音符が、テンポを決定する鍵で、これを含めた、連続する四つの八分音符が、テンポを持続させます。冒頭の四分音符の次の八分音符をやや早めに歌うことが、答唱句を活き活きとさせます。この四分音符が間延びすると全体のテンポもだらだらとしてしまいますので、そうならないように気をつけてください。旋律が「見てーーーーー」を八分音符5拍延ばす間に、バスが「おぎ見てー」と、仰ぎ見る姿勢を強調します。混声で歌う場合でなくても、この「見てーーーーー」をしっかりと5拍延ばし、 第一朗読では、荒れ野の旅の終わりのしるしとして、もはや「マナ」を食べることがなくなったことが言われます。エジプトでイスラエルの民の苦しみをつぶさにご覧になった神は、民の「叫びを聞き、悩みの中から救い出し」(詩編唱3節)てくださいました。荒れ野の旅の間も、イスラエルの民は、何度も神にそむきましたが、苦しみの時には、いつも、ともにいてくださっていることをさまざまなしるしであらわされました。神が不在のように思われる、現代においても、神は「わたしたちの祈りに心を留め、すべてのおそれを遠ざけてくださる」(詩編唱2節)のです。荒れ野の「マナ」でも父の遺産でもなく、ただ、神のいつくしみに信頼して、日々、歩みたいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.19 11:23:11
|