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カテゴリ:答唱詩編
154 涙のうちに種まく人は
【解説】 詩編126は、「都に上る歌」の一つですが、内容を見て分かるように、バビロン捕囚から帰ったばかりのイスラエルの幸福な状態を思い起こし(1-3節)、その後の苦難から、捕囚直後の幸福な状態への回帰を願うものです。ネゲブは、パレスチナ南部の乾燥した高原地帯で、ここに流れる川は、雨の後にだけ水が流れ、その流れは不毛の地を肥沃な大地へと潤します。 種をまくことですが、加工すればパンになる小麦を地に撒くことで、一時的な飢えを覚悟することを意味しています。つまり、その先にある、収穫を神の恵みによって、期待するのです。 答唱句は、歌詞に従って、前半は1♭の短調であるd-moll(二短調)、後半は同じ調号の長調であるF-Dur(へ長調)と、並行調で対照的にできています。前半は、バス以外「涙のうちに」と「種まく人は」という、二回の下降音階で、これらの姿勢と感情が表されています。後半は、「よろこび」で、まず、バスとソプラノが2オクターヴ+3度開き、「よろ」でバスがオクターヴ跳躍し、「よろこび」では、付点八分音符+十六分音符という付点を用いることで、この、神による回復の喜びの大きさが表されています。続く「刈り取る」では、この音価がバス以外で拡大され(付点四分音符+八分音符)て、強調されます。 詩編唱は、旋律が属音(ドミナント)を中心に動き、和音もd-moll(二短調)の基本的な和音で動いています。なお、『混声合唱のための典礼聖歌』(カワイ出版 2000 )では、詩編唱の三小節目の最後の和音と、四小節目が変更されています。 【祈りの注意】 答唱句は、決して、早く歌うものではありませんが、前半の下降音階を生かすように、きびきび、そして、ことばを生かすように、厳しくしっかりと歌いましょう。後半は、付点の音価を生かすように、明るく軽めに歌います。食事の用意、宿題、残業、苦労の種はいっぱいありますが、その後に待っている喜びを知っている人は多いと思います。わたくしの場合には、熱いお風呂とその後のビールでしょうか?身近な、苦労と喜びを思い起こして、その気持ちを答唱句に反映させるのが、一番、分かりやすいかもしれません。 もう一つ、下降音階の注意ですが、きわめてレガート(滑らか)に歌うようにしましょう。力が入ると、一つ一つの音が飛び出すようになりがちですが、これでは、 第一朗読では、イザヤの預言によって、出エジプトの出来事と天地創造の出来事の要約が語られ、最後に、その理由が述べられます。そこで、神は「わたしはこの民をわたしのために造った」(43:21)と言います。これは、新約のキリスト者も同じです。それゆえ、神の民は、すべての民に神の「栄誉を語らねばならないのです」(43:21)。 福音朗読では、姦通の現場で捕えられた女性が、イエスももとにつれてこられ、石殺しにするべきかが、問われます。本来、姦通の現場を押さえられた場合は、男女ともに石殺しになったのですから、女性だけがそれを判断されるというのは、片手落ちということになります。女性にとっては、自分に罪があったにせよ、律法に従っても、理不尽な扱いを受けたことになりますし、死んでも死にきれなかったでしょう。ところが、イエスの答えは、全く予期しなかったものでした(それは、律法学者たちやファリサイ派の人々にとっても同じく)。まさに、シオン(神の元)に戻され、喜びにあふれて帰っていったことでしょう。 わたしたちも、四旬節の間に、もう一度、自分自身の洗礼を思い起こし、常に、神に立ち返る恵みを、この答唱詩編の祈りを通して、新たにしたいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.05 13:09:45
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