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カテゴリ:答唱詩編
52 神のはからいは
【解説】 この答唱句で歌う詩編は二つありますが、答唱句自体はもう一つの詩編139:18に基づいています。今日の詩編90は、詩編集第四巻(詩編全体を5つに分けた)の冒頭に当たります。表題には「神の人モーセの詩」と書かれていますが、モーセの作とされるのは、この詩編の思想が、申命記32章にある「モーセの歌」(モーセの告別の歌)と類似するからと思われています。しかし、実際には主語が「わたしたち」と一人称複数であることから、共同体における嘆願の祈りと考えるのが妥当なようです。人間のはかない人生と、神の永遠のいのちを対比させることで、神のいのちを求める知恵(本当の知恵)を願う祈りです。 答唱句の前半、旋律は、E(ミ)を中心にしてほとんど動きが見られません。後半、旋律は一転して主音のA(ラ)から4度上のD(レ)へと一気に上昇します。旋律では「そのなかに」で、テノールでも、やはり「なかに生きる」で、最高音のD(レ)が用いられ、限りない神のはからいをたたえるこころと、そこに生きる決然とした信仰告白が力強く表明されます。前率と同じように、バスとテノールも前半はA(ラ)を持続し、さらに、テノールは後半「その」まで、A(ラ)に留まり、神のはからいの限りない様子と、その中に生きる決意が表されています。最後は、導音を用いずに終止し、旋法和声によって歌い終わります。 主音から始まり、主音で終わる詩編唱は、最低音がD(レ)〔3小節目〕、最高音がC(ド)〔4小節目〕と、続く小節で、7度の開きを持ち、劇的に歌われます。1小節目と2小節目はA(ラ)を中心にシンメトリーになっています。これは、下の、祈りの注意にも書きましたが、1小節目と2小節目の内容が基本的に起→結という関係になっていることにもよります。また、3小節目が、1小節目と4小節目の両方とやはり、シンメトリーになっていまが、これも、やはり、3小節目と4小節目が同じく起→結であるのに加え、1小節目+2小節目が起、3小節目と4小節目が結、という内容にもなっていることによります。 【祈りの注意】 答唱句は、p で、しかし、強い精神で歌い始めます。最初の「かみ」の「K」を強く発音するようにしましょう。これは「限りなく」の「か」も同様です。後半、「わたしは~」からは、だんだんと、cresc. して、力強さを増してゆきますが、決して乱暴な歌い方にならないように注意しましょう。答唱句の息継ぎは、原則として、「限りなく」の後、一回ですが、最後答唱句は、終止の rit. を豊かにするために、「その中に」の後でも、息継ぎをするとよいでしょう。ただし、息継ぎが長すぎて、「に」の四分音符の基本的な音価が、 詩編唱は、冒頭、mf から始めるとよいでしょうか。基本的に、1小節目と2小節目が起→結、3小節目と4小節目が同じく起→結であるのに加え、1小節目+2小節目が起、3小節目と4小節目が結、という内容にもなっていますので、この対比をよく味わえるような、強弱法や、速緩法を用いるようにしましょう。 今日の第一朗読では、「知恵の書」が語られます。知恵の書は、その名のとおり、神の知恵(教会は伝統的に、キリストととらえてきた)について語られたものです。他にも、旧約聖書で神の知恵について書かれた書はいくつかあり、これらを《知恵文学》と読んでいます。ちなみにそれらのほとんどは、紀元前1世紀くらいに書かれたようです。 さて、今日の知恵の書は、パウロのローマの教会への手紙、11:33-36(『典礼聖歌』384「おお 神の富」)を思い起こさせます。詩編111には「神をおそれることは知恵の初め」とあるように、本来、人間の持つべき知恵とは、神を知り、敬い、おそれること、なのです。しかし、それには、神の霊=聖霊が働かなければならないことは、イザヤの預言(11:2)をみれば分かります。 もともと、神の息吹を吹き込まれることで生きるようになった人間に、神は、ご自分の霊を与え、ご自身を知ることで、人間を本来の知恵に向かわせてくださるように心砕いておられるのです。今日の詩編を味わいながら、この「神のはからい」をあらためて思い起こし、これら、神のはからい、神の愛を素直に受け止めることができるように祈りたいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『待降節・降誕節の聖歌』(詩編は異なります) 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.23 15:15:26
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