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カテゴリ:答唱詩編
51 神の名は
【解説】 詩編113は、過越の祭りの時にも歌われた詩編です。この詩編から、詩編118までは、前後に「ハレルヤ」と言うことばがついていることから、また、過越祭に歌われることもあわせて、「エジプトのハレル」と呼ばれています。詩編113は、続く114とともに、過越の食事の前に唱えられています。3節の「日の出るところから、日の沈むところまで」は、「日の昇るときから、日の沈むとき」と解釈することもできます。 答唱句の最初の一小節、「みの名はあ」では、八分音符が連続しますが、これが曲全体のテンポを決定する鍵となります。「あまねく」(漢字で書くと「遍く」)では、旋律が6度跳躍しますが、神の名が時間と空間を超えて普遍的に世界に輝くことを暗示します。ちなみに「名」とは、そのものの本質を表すもので、神ご自身そのものをさすことばです。日本語でも「名は体を表す」と言います。また、これは、バスのオクターヴの跳躍でも表されています。 「栄こうは」の旋律は最高音C(ド)と付点八分音符で、また、テノールの「う」の三拍目も最高音C(ド)に上がり、神の栄光が天にそびえる様子が暗示されています。 答唱句全体は四分音符+八分音符が連続し、さらに、臨時記号による半音階でこの動きに活気が与えられ、ことばが生かされます。 詩編唱は最高音H(シ)から始まり、反復しながら下降してゆきますが、四分音符で表された反復部分のことばに注意がゆくようになっています。最後は、旋律の最初の音D(レ)で終わり、祈りを答唱句に続けます。 【祈りの注意】 解説にも書きましたが、最初の小節線の後の四分音符「かみ」の次の「の」をやや早めに歌い、「名はあ」の三つの八分音符で、テンポに乗るようにします。八分の六拍子は八分音符六つを数えるのではなく、付点八分音符×二拍子と考えて歌いましょう。旋律が6度跳躍する「あまねく」では、時間と空間を越えて、神の名=神の存在そのものが世界に輝いている(現在形)ことを表すようにしましょう。胸を(声を)世界に広めるようにしますが、決して、 「あまねく」の後で、人によっては息継ぎが必要になると思いますが、気持ちは、冒頭から「輝き」まで続けましょう。「そのえいこうは」では、付点八分音符を利用して、次第に rit. し、「天に」で小戻しして、最後は、ていねいにおさめるようにしましょう。それによって、壮大な神の栄光が天にそびえる様子を表します。 特に、最後の答唱句は、たっぷりと rit. して、祈りもていねいにおさめるようにしましょう。 解説にも書いたように、四分音符+八分音符、半音階進行、を生かして、祈りが流れるように、活き活きと歌ってください。冒頭から最後まで、気持ちは一息で続くようにすることが秘訣だと思います。 第一朗読では、アモスの預言が読まれます。アモスの時代(だけではなかったのでしょうが)、イスラエルの指導者、権力者、金持ちは「貧しいものを踏みつけ、苦しむ農民を押さえつけ」ていたのです。それをご覧になった神は、彼らの行為を「いつまでも忘れない」と言われます。実は、イスラエル自身、エジプトで「鞭打たれ、鎖につながれ」労働に従事させられたゆえに、神は、その苦しみをつぶさにご覧になり、モーセを遣わして、エジプトから脱出させてくださったのです。そのことを、過越の祭りで、毎年、思い起こしているにも関わらず、指導者、権力者、金持ちたちは、自分たちが同胞にしていることが、かつて、自分たちの先祖にされたことであることを知っていないことが、問題なのです。今風に言えば歴史に学んでいない、と言えるでしょう。 この、詩編を味わいながら、わたしたちは、神がイスラエルに行われた、救いのわざの一番大切なところを、思い起こし、わたくしたち自身が「神の前に貧しい人」になることを、改めて決意したいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『聖週間の聖歌』(詩編は異なります・絶版) 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.03 18:59:33
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