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カテゴリ:答唱詩編
172 わたしたちは神の民
【解説】 詩編122は、タイトルに「都に上る歌」とあることからも分かるとおり、巡礼のときの詩編です。3-5節に、ある記述、たとえば「ダビデの家の座」などから考えると、バビロン捕囚以前、あるいは、聖所がエルサレムに限られていた時代の歌と思われます。今日は歌われませんが、詩編の6-8節(詩編唱の4・5節)では、たびたび「平和」が祈られていますが、巡礼団がエルサレムに入るときには、このような平和のあいさつを行うのが慣わしだったようです。今のミサの「平和のあいさつ」にも受け継がれているようにも思えます。 答唱句は、全体に低音部を中心にして歌われますが、それが、かえって、答唱句で歌われる信仰告白のことばを、謙虚に、しかし、雄大に力強く歌わせる効果があります。旋律が付点四分音符でことばを延ばしているところでは、必ず、どこかの声部が、次に来ることばを、四分音符によって、八分音符一拍分早く歌い始め、ことばへの集中力を高めるとともに、祈りの流れが継続するように、工夫されています。最後は、旋律が最高音のB(シ♭)に高まり、信仰告白のことばを力強く結びます。 詩編小の基本的な旋律構造は、四小節目を除くと答唱句と同じで、答唱句と類似構造と言う点でバランスをとっています。四小節目だけは、終止の和音が五の和音(=F-A-C)で、答唱句の冒頭に戻る(続く)ようになっています。ちなみに、この答唱句で歌われる詩編は3つあり(他に、詩編50、詩編122)ますが、いずれも、神殿の祭儀に関連しています。それででしょうか、詩編唱の部分は、やはり、神殿祭儀(おそらく「仮庵の祭り」)で用いられた詩編81が歌われる、162 喜び歌え神に叫びをあげよと同じ旋律が用いられています。 【祈りの注意】 この答唱句で一番気になることは、早く歌いずぎることです。速さは四分音符=60くらいと指定されていますが、一番早い速さ、と考えて歌ってもよいでしょう。冒頭「わたしたちは」は、確固とした信仰を持った、力強い p ではじめましょう。「わたしたちは」から「かみ」へは、音域が広がりますので、少し cresc. すると、祈りが深まります。解説でも書いたように、旋律が付点四分音符で延ばす間、すなわち、「わたしたちは」の「は」、「かみのたみ」の「み」、「まきばの」の「の」では、他のいずれかの声部が、八分音符一拍分早く、すなわち、四分音符でもって、次のことばを歌い始め、祈りを継続させていますから、旋律をうたうかたがたは、この、祈りの継続が十分になされるように、付点四分音符をできるだけしっかりと延ばすようにしましょう。これは、混声四部で歌われない場合でも、オルガンの伴奏がその役割を果たしていますので、忘れないようにしてください。この、付点四分音符の後は、なるべく、一瞬で息を吸うようにしますが、しゃっくりをしたようにならないでください。特に、最後の「むれ」は、最高音で歌うので、どうしても、「れ」をぶつけるように歌いがちですが、 第一朗読では、「ダビデの家の座」に結び付けられている、サムエル記が読まれます。古代のイスラエルの人々にとっては、ダビデの家は、いつまでも、イスラエルに繁栄をもたらす、王の家系と思われていましたが、その、ダビデの罪によって、また、子孫の偶像礼拝によって、王国は分裂し、王座は取り上げられてしまいました。しかし、ダビデの末裔、その父エッサイの切り株から芽を吹いたイエス・キリストは、すべての人の罪を身に負い、十字架の死を通して復活されたことにより、宇宙万物を支配する永遠の王として、わたしたちに平和をもたらしてくださったのです。 今日の詩編を味わいながら、また、今日の叙唱も心に刻みながら、王であるキリストがもたらしてくださった平和の意味を、もう一度、深めたいものです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』(詩編は異なります) 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.07 11:09:33
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