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カテゴリ:答唱詩編
158 門よとびらを開け
【解説】 この、答唱句が取られた詩編24は、三部で構成されています。第一部は、創造主である神への信仰宣言(1-2)、第二部は、神殿に入る資格のある人を訪ねる巡礼者(3)と、それに対する祭司の答え(4)と祝福(5-6)、第三部は、契約の箱が神殿の門についたときの交唱(7-10)です。本来は、第三部で歌われる、契約の箱の入城のような儀式で用いられていた考えられ、サムエル記下6:12-19にある、神の箱を天幕(後には神殿)に入れる儀式が起源と考えられています。 答唱句はテージスから雄大に始まり、音階の順次進行で最高音Des(レ♭)に上昇し、門が開き、永遠のとびらがあがる様子が示されています。 allarganndo(次第にゆっくりしながら大きくする=rit.+dim.)によって答唱句はいったん「あがれ」で終止しますが、和音は、続く「栄光」で用いられる並行短調のf-moll(へ短調)の五度に当たるC(ド)-E(ミ)-G(ソ)で、門のとびらが開ききり、永遠のとびらがあがりきった様子と、その中を進もうとする栄光の王(すなわちメシア=キリスト)の輝きが暗示されています。 その後、旋律はもう一度、最低音のF(ファ)から和音内の構成音As(ラ♭)を含め6度上昇し、「おう」で再び最高音Des(レ♭)に至り、栄光を帯びた王の偉大さを象徴しています。詩編へと続く部分の終止は、f-moll(へ短調)からEs-dur(変ホ長調)に転調して、詩編唱の冒頭へと続きます。Lastのほうは「おうが」から、バスとテノールのオクターヴが保持され壮大さを保ったまま終止します。 詩編唱は、主和音から始まり、旋律の、一小節目から二小節目、三小節目から四小節目、が同じ音で続き、各小節の最後の音は、冒頭の音からいずれも二度上昇してゆき、四小節目の最後で、最高音C(ド)に力強く達して答唱句へと戻ります。 【祈りの注意】 答唱句は雄大に歌われますが、決して、 旋律はいったん「門よとびらを」のC(ド)に下降しますが、いわば、「あがれ」の最高音Des(レ♭)と allarganndo に向かう上昇のための勢いを付けるようにも感じられます。この上行が力強さを持ちながらも、快いテンポで歌うようにしましょう。このとき大切なことは、皆さんの前に、実際に、栄光の王が入る門・永遠の戸があり、その門の扉が実際に開き、永遠の戸が上がり、いま、そこで、栄光の王が入る、その場に皆さんがいて、この答唱詩編を歌っている、ということです。つまり、絵に描いたようにとか、映画を見ている要にではなく、皆さんが、そのとき、その場にいる(現存している)のでなければ、この答唱句を、本当にふさわしく歌うことはできないのではないでしょうか。 なお、allarganndo の後は、テンポをやや、子戻しにして、さらに豊かに rit. すると、この答唱句の雄大さをふさわしくあらわすことができるでしょう。特に最後の、答唱句、すなわちLastに入るときは、allarganndo rit. をたっぷりとしてください。 今日の第一朗読ではインマヌエル預言が、福音ではインマヌエル預言の成就が語られます。インマヌエル、すなわち、わたしたちとともにおられる神こそ、イエス・キリストに他なりません。これは、過去の、すなわち、この世におられたイエスの時代、だけのことではないことをわたしたちは知っていなければならないでしょう。すなわち、主キリストの名によって集まるところ、特に、ミサをはじめとする集会祭儀において、また、パンとぶどう酒=聖体において、典礼で読まれる福音において、典礼集会を司式する司祭のうちに、いつも、キリストはおられるのです。 今日の詩編唱の2節と3節で歌われるのは、もちろん、キリストに他なりませんが、それとともに、ヨセフもその一人ではないでしょうか。福音朗読では、婚約しているマリアが身ごもっていることを知ったヨセフは「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと」(マタイ1:19)しました。イスラエルの律法によれば、婚約中の娘が、許婚以外の男と関係したことが分かった場合は、その娘は、石殺しにされたのです。つまり、もし、ヨセフが、マリアのことを表ざたにすれば、マリアは石殺となりました。しかし、ヨセフは、マリアの命を助けるために、それを望まなかったのです。 わたしたちは、ともすれば、人間の正義の実現に目が行きがちですが、この、ヨセフのように、神の正しさの実現を求めなければならないのではないでしょうか。そして、この、神の正しさを究極まで突き詰めたお方が、まもなく、世に来られるのです。 《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『ミサ』 【参考文献】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.04 17:10:02
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