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カテゴリ:答唱詩編
《C年》
10 荒れ地のかわき果てた土のように 【解説】 この詩編63は、150ある詩編の中で、最も親しく神に呼びかけます。一連の答唱詩編の答唱句は、この詩編の2節から取られています。表題(1節)には、「ダヴィデの詩。ユダの荒れ野で」とあり、ダビデがサムエルから逃れてユダの荒れ野にいたとき(1サムエル19章~)に歌ったとの伝承がありますが、実際にはもっと後代の作でしょう。 詩編唱の1節の4小節目にある「求める」の語源は「あけぼの」で古代語の訳では「朝早くからあなたはわたしとともにいる」と訳されたことから、この詩編は『教会の祈り』の「朝の祈り」(第一主日および祝祭日などの第一唱和)で用いられています。神から離れた生活を「水のない荒れ果てた土地」と歌う作者は、まさしくそのように神を慕い、聖所=典礼(礼拝)の場で神と出会い敵から救われます。6節=詩編唱の3節の3小節目「もてなしを受けたときのように」は、直訳では「髄と脂肪で」だそうで、動物の髄と脂肪は、当時最もおいしい部分と考えられていたそうです(個人的にはわたくしも最もおいしい食べ物です)。今流に言えばグルメでしょうか。 答唱句では、旋律、伴奏ともに音階の順次進行や半音階を多く用いています。これによって、荒涼とした荒れ地の様子が表されています。とりわけ「土のように」では、バスが最低音になり、荒れ地の悲惨さを強調します。後半は「かみよ」で旋律が四度跳躍し、神を慕う信頼のこころ、神へのあこがれを強めます。なお『混声合唱』版の修正では「あなたを」のバスの付点四分音符はC(『混声合唱』版の実音ではD)となります。 詩編唱はドミナント(支配音=属音)のGを中心にして唱えられます。どの節でも一番強調されることが多い、3小節目では最高音Cが用いられています。4小節目の最後の和音はF(ファ)-C(ド)-G(ソ)という「雅楽的な響き」が用いられていますが、バスが答唱句の冒頭のE(ミ)への導音となり、その他は同じ音で答唱句へとつながります。 【祈りの注意】 答唱句、特に前半は、荒涼とした荒れ地の様子を順次進行や、特に半音階で表しています。レガート=滑らかに歌いましょう。「あれちのかわきはてたつちのように」で、太字の母音「A」は喉音のように、赤字の子音はかなり強く発音します。また「あれち」は、sf (スフォルツァンド)一瞬強くし、すぐに、弱くします。このようにすることで、荒涼とした荒れ地の陰惨さを、祈りに込めることが、また、この答唱句の祈りを、よりよく表現できるのではないでしょうか。前半は「~のように」と答唱句全体では従属文ですから「れ」以外p で歌います。和音も従属文であり、主文へと続くように、5度の和音となっています。 後半は、この答唱句の主題です。「かみよ」の四度の跳躍で、「か」の部分はその前の和音の続きで五の9の根音省略形、「みよ」はどちらも主和音で力強さが込められ、p から、一気にcresc. して神への憧れを強めます。そ の後は、f ないしmf のまま終わりますが、強いながらも神の恵み、救いで「豊かに満たされた」こころで穏やかに終わりたいところです。 関連する朗読は、ゼカリアの預言もルカの福音も、キリストの受難予告と復活の預言です。生前のイエスに従っていた弟子たちにとって、イエスご自身の受難予告は、全く理解できない以上に、あってはならないことでした。主のエルサレムへの道はイスラエルの国の復興のためであったと思っていました。しかし、イエスにとってエルサレムへの道は、栄光への道であることには変わりありませんでしたが、それは、十字架をとおしての栄光だったのです。これは、その後の弟子たちのみならず、キリスト者すべてが、何らかの形で通らなければならない、追わなければならない十字架の道ですが、その十字架はキリストがともに追ってくださるくびきでもあることを忘れないようにしたいものです。詩編唱も、神とキリストがともにいてくださるという、信頼のもとに歌われます。詩編を歌う方も、味わう方々も、この信頼をゆるぎないものとするために、詩編のことばをより深く味わっていただきたいと願います。 【オルガン】 答唱句のことばからしても、フルート系のストップが妥当でしょう。基本的には8’だけ、会衆が多ければ、答唱句では、Swell の8’もコッペル(カプラー)でつなげて弾くか、深みのある、4’を加えても良いでしょう。パイプオルガンでは、「あれち」の sfを表現することは難しいですが(ペダルを使っている場合も同様です)、ペダルがないハルモニウム(リード・オルガン、足踏みオルガン)では、表現することができます。 手鍵盤だけで弾く場合、答唱句は、すばやい持ち替えや手を滑らすなどの熟練を要します。じっくりと考えて、時間をかけて練習しましょう。このような練習は、会衆の祈りがこの答唱句の信仰告白にふさわしくなるようにするためです。会衆が良く祈るためには、オルガンがよく祈らなければなりません。オルガンがよく祈るには、オルガン奏者が深く祈っていなければならないことを忘れないようにしましょう。 オルガン奉仕には、多くの試練、課題、困難があるかもしれません。準備の間、この詩編を何度も、歌いながら味わうことで、神への信頼のうちに、この、奉仕の務めを与えていただいたことを想い起こし、神と共同体への奉仕のために、勇気と知恵を与えていただくことができるのではないかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.06.12 14:51:49
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