|
カテゴリ:カテゴリ未分類
次の日・・・と書いたのにね。
週末はやはり更新出来な~い。 いつもの友達と一緒に過ごしてました~(^_-) さて・・・・・ もう少しこの頃の”こだわり”遊びを記録しておきます。 公園に行っても、遊具で遊ぶ事は一切有りませんでした。 どんなに『ほら!楽しいよ』と私が滑り台・ブランコにやって誘っても”シカト”。 見向きせずに、小石を並べたり・下水上の蓋?溝から小石、葉っぱを入れ下に落とす作業の繰り返し。 人はもちろん遊具も彼には見えていなかった様でした。 今もまだやっていますが、要求等は【クレ-ン現像】のみでした。 息子の手は私の手!って感じでなにかにつけ、用件のみの利用をされ、用が済むと再び自分の世界に没頭・・・。 私は言葉が無くても息子の声を良く把握出来ていたので、何でもすんなりクリア。よくパパに『お前はなんでそんなに”要求”がわかるのか?』と言われてました。そう、パパに”たまに”クレ-ンで要求してもパパには理解が出来ずに、結局要求が通らなく息子はパニックを起こす事が多々ありました。 では、前回の続きに入ります。 パパに障害の疑いの話をした事で私の気持ちが少しは楽になりました。 ※話した次の日、パパは”ボクサ-の試合の次の日”状態に目が腫れ上がってた。相当涙したんだね。2日程、仕事を休んでしまったし・・・。 そんな中、私は国家試験を受けに行きました。 パパの前では泣かない私でしたが、一人になるとやはり涙が止めどなく溢れてきてしまってた。 向かう電車の中、人目を気にしながらもボロボロと涙は頬を伝って落ちて・・・・。 最寄りの駅は”動物園”前なので、家族連れの姿が多くより私を苦しめました。 『みんないいな~。幸せそうで・・・』 同じぐらいの年齢の子供が親としっかり手を繋ぎ、楽しそうに会話してる・・・・。 『いいな~・・・・』 私の息子はお喋りの出来ないし、手を繋いではくれない。 多動は無いが”手を繋ぎ歩く”なんてとても出来なかった。 もう声を上げ泣いてしまいました。 会場内でも泣きながら試験を受け・・・・ 行き・帰りの電車の中で泣き・・・・ この頃は【悲劇のヒロイン】全開の私。 丸1日、場所を問わず(笑)思いっきり沢山の涙を流しました! ※この試験は見事落ちました(^^;)問題がちっとも頭に入ってきませんでした。⇔(言い訳??) そのお陰で?次の日からは★前向きに生きよう★精神な私に変身!! 早くに立ち直り【障害】を《受け入れ》・《認め》”今”すべき事に目を向け始めました。 まずは保健所に電話⇒1ヶ月後の予約。 私はこの1ヶ月を待つ事が出来ず⇒近くの大学病院全てに電話。 その1つに東大病院⇒1週間後受診(ここでは自閉傾向はあるけど・・・知的の方が強いかな?)程度の診断。 ここで、その筋で有名な所に療育も含めての紹介所を持参で行く様に言われる⇒予約2ヶ月待ち 全国的に有名とされてるU病院⇒3ヶ月待ち ん~・・・・ なんでどこもこんなに予約待ちなの~??と思ったのが、世の中の体制への不満の1つの始まりでもあった。 予約待ちの間は”障害”関係の本を読みあさりました。 近場の図書館3カ所制覇。 全て読んで読んで読みまくり。でも、図書館に有る書物は古い!の一言(-_-;) 足を伸ばし都心の大きい書店に出向き、手当たりしだい読む⇔買えよっ!って感じだよね(笑)でも、結構高価なのよね~・・・。 全ての場所での診断を受け終わり、 『自閉的傾向・知的障害』と診断が下りました。 実際年齢 3歳2ヶ月ででしたが、全体的に半分以下1歳半ぐらいとの事。 言語に至っては1歳未満。 で、じゃ【療育】となるとこれ又予約待ち・・・。 いつ受けれるか・・・解らない・・・。 早期療育が重要とされているのに・・・・。 何故?どうして?行政はなにしてるの? 立ち止まっていても時間の無駄!! じゃ、私がやりましょう!ってな感じで試行錯誤しながら 娘を巻き込み、独自療育開始です♪ 障害児と診断された2ヶ月後には”愛の手帳3度”の障害手帳を手にしました。 (この辺の事は過去の日記に書いてあります) まだ続く・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年02月24日 15時27分10秒
コメント(0) | コメントを書く |
|