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テーマ:たわごと(26875)
カテゴリ:映画*音楽*アートのはなし
先日子供たちと 米アニメーション映画 「くもりときどきミートボール」 を観ました。 この映画、3Dなんです。 メガネをかけて観ると絵が飛び出るヤツ。 ベストセラーとなったジュディ・バレットの 絵本を元に製作された映画でした。 アニメ映画でも ディズニー/ピクサーではなく、 ソニーピクチャーズのもの。 これが思った以上に楽しめました。 息子らはストーリーに泣かされていました。 物語然り、映像美術も期待以上。 特にエンディングアニメーションの モダンなデザイン構図、配色がカッコ良く (60年代っぽいけどサイケではない) なんとなくメアリーブレアを思い浮かべました。 と、ここで‥‥ まだメアリーブレア展に 行ってないことを再認識。。 ミートボールよ、ありがとう~~ この時、展示終了まであと一週間強のところだった! なんとか仕事を調整し、 晴れて展示に出掛けたのでした! ・ ・ ・ 半蔵門線、清澄白河の駅で下車、 東京都現代美術館まで徒歩10分‥‥ その道中、深川の町おこしか “かかしコンクール”なるものをやっていました。 ‥‥切ないです。。笑 がんばれ深川~~ ランチは深川めしと行きたいところですが やはりメッカは門仲に思えるので、今回はパスして 美術館内でいただくことに。 有機野菜グリルに、雑穀パンのプレート。 バルサミコソースで美味しかったけど 野菜そのものを楽しむ為、 味付けがヘルシーな分量だったので(つまり薄味) オリーブオイルとお塩をオーダー。 デブ食な私にはこれでちょうど良い。笑 たっぷりの食事後、 たっぷり展示見学3時間半。 進んだり戻ったりしながら (なので一人じゃないと観れない) 頭に焼き付けてきました。 毎度、美術館は辛い‥‥。 学生の時からのクセで頭が無駄にフル稼働、 修行のような気持ちになります。 そもそも美術館でなくとも 観たもの、感じたもの、経験したものを 勝手に追求してしまうきらいがあり‥‥ 例えば学生時代は映画館に入ったら出て来れなくなり (当時は入れ替え制じゃなかった) 朝から晩まで過ごす事も稀じゃありませんでした。 ‥‥今考えると完全にノイローゼ。 手帳は常に感じたことのメモで真っ黒だったし、 頭をクリアにしたく、夜中走ったりしたけどどうにもならず、 本当に苦しかったあの頃‥‥。 社会人になり、仕事を始めてからは考える暇がなく、 忘れることを覚え、全然生き易くなりました。笑 でももしかしたら、その辺の困った感受性とやらが 私の表現力の源なのかも‥‥ん?? さて、本題に戻って‥‥ 以前からこのブログでも何度となく(ex→★) 名前を登場させているメアリーブレア。 多分それよりも前、名前を知り、意識する前から 知らぬ間に作品に触れていて、 知らぬ間に影響を受けている‥‥ そんな人間は私だけではない筈。 当の私も、若かりし頃からからTDLの イッツアスモールワールドが気になりながらも、 アーティストの名にたどり着いたのは十数年後の 2006年のディズニーアート展以降‥‥ それまではネットで検索してもヒットしなかったのですから 日本での知名度はそれ以降と考えられます。 (ちなみに当時はハードは双子育ての真っ最中だったので 上記展示には行っておりません。) 私の場合、ひょんなキッカケでとあるイラストから、 (のちにそれが“I CAN FLY”の挿絵をわかる) メアリーブレアを知り、ディズニーと結びついた時は 鳥肌ものの目からウロコ体験でした。 でもって今回、晴れて、彼女の原画、 それも多数の作品と、その人生に初対面し、 頭がパンパンになり‥‥‥ 帰宅時電車を2駅乗り過ごした程。 主にディズニー映画のコンセプトアートや 世界博覧会のパビリオン制作(イッツアスモールワールド) で有名な彼女‥‥作風に関しては周知のことなので 具体的に語る必要はないと思いますが 多くの芸術家がそうであるように、 彼女も初期、中期、後期と作風が変化しています。 でも、ここで違うのは彼女は芸術家でありたいと 望みながら生涯商業デザイナーであったこと、 類い稀な感覚と表現力とテクニックを兼ね備えていながら 社会適応力、順応力も優れていた点です。 これらって共存出来たら敵なしに思えて、実は相反するもの‥‥ 常に葛藤があったようで、ディスニースタジオを二回辞めています。 その後、再度ワォルトディズニーから声がかかり、 WED(ディズニーランドの開発)に加わるのですが、 ワォルトディズニーの死後WEDを去り、そのまま二度と ディズニー関連の仕事をすることはありませんでした。 写真を観る限り、美人で華やかで、その時代時代の トレンドを押さえたファッションセンスで着飾る様子からも 自分を客観視できる人物像が伺えます。 故に、妻としての立場、母親としての立場、 アーティストとしての立場、 男尊女卑の世相の中での立場などなど‥‥ 様々な立ち位置を意識していて でも常に自分自身の曲がらない考えがあって その都度「これでいいのか、私?」‥‥などの 問いかけが見え隠れする経歴に思えます。 それでも彼女が生涯を通して仕事も家庭も手放さなかったのは 器用さ故の不器用な性な為‥‥ 彼女の思考は常にパラドックスであるが故に バランスが保たれていたのではないでしょうか? 作品にもその心の揺れみたいなものが感じられます。 求められるものを察知し、様々なテクニックで表現しつつも 自分のカラーを主張する芸術家としての意地みたいなものを‥‥。 だとしても、ビジネスシーンで感性を評価されながらも、 そのまま採用されない空しさを一度も感じなかった訳はない‥‥ 複雑でいて単純でいて複雑。 しかしながら彼女の作品はどれも 正のエネルギーに満ちあふれています。 どの作品も嘘はなく、きっとそれも彼女自身なのだと思えます。 多分「悩み抜く楽天家」だったのかなと。笑 実際、ディズニースタジオの南アメリカ偵察旅行をキッカケに 才能が開花してますもん。ラテンの血ですよ、ラテン。 残念ながら彼女は 67歳という若さで他界します。 ‥‥原因は脳溢血。 晩年は家庭不和やアルコールの過剰摂取を言われ 不安定な日々を送っていた印象を受けますが、 多くを語る書籍が見つからないのが現状です。 いずれにしても、その影響が出ているのでは??と 晩年の作品は「今までとは違う奇抜なもの」と 評されることが多いようです。 いやぁ、でも私から観るとタッチは違えど なんの違和感も感じません。 ああ、やっと描きたい絵を自由に描いたんだなぁという感じ。 俗に言う、ダークなものを感じようが感じまいが、 パンドラの箱を開けてしまったかのような、 それこそ浄化したあとの高揚感を感じるのは私だけでしょうか? 「してやった!」みたいな。笑 ‥‥とまぁ、 殆ど何の根拠もない、私の妄想です。 真相は一切わかりませ~ん。。 長文に最後までお付き合い、 ありがとうございました。 “書くこと”は私に最大の浄化法です。 これ、高校時代から変わりません。 ああ、スッキリした~~。 それがまだ“描くこと”にならないのは 私が芸術家ではない証拠です。 行き過ぎてないことは 生きやすいってことなのです。 なんのこっちゃ。 とどのつまり、 秋の夜長は妄想に限ります。 美術館内にある撮影OKエリアの画像‥‥これくらい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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