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にこにこ♪ラクラク♪楽しい我が家

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2022年07月15日
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カテゴリ:五十肩
おお、連載8回目だ。

前回は初の演武大会出場のエピソードを書いたのですが
今回は初の昇級試験について書いていきましょう。

当時は、無級、5級、4級までが白帯。
3級が青帯、2級補、2級が茶帯、1級補、1級も茶帯
初段補から黒帯という色分けがされていたわけで。
(今の制度は違っています)

帯の色の順番に座る位置が決まるので
白帯で無級の私は、一番末席(当然ですが)

小学生の色帯の子が上座に座っていて、
高校生の私が末席に座らされている。。。

自分の中では、何とも言えず、変な感じでした。

武道の世界では至極当たり前のことですが
自分の中では相容れないものがあったというか。。。

黒帯になりたい。

そういう思いがふつふつと湧き上がってくるのでした。

まずは色帯をクリアしなくては。

どうやったら無級の状態から脱出できるだろうか。。。
自分は運動音痴で下手だから昇級試験が受けられないのだろうか。
親が指導員しているから、厳しくやられているんだろうか。

まぁいろいろ考えました(笑)

そうこうしていたら昇級試験の基準を教えもらい
かなりホッとした覚えがあります。

それは

所定の出席日数をクリアすること

でした。

各級ごとに何回稽古に出席したら、昇級試験を受ける
権利を得る、ということであったみたいでした。

もちろん、お題になる技の演武があるわけでして
そこで頓珍漢なことをすると、再チャレンジ、ということに
なるのですが、私が通っていた道場では、昇級試験が決まったら
そのメンバーが前に出て、お題の演武をして、それを見本にして
みんなが稽古する、という流れがありました。

そうやってリハーサルを重ねて、技のポイントのフィードバックを受けて
何より、みんなの前で演舞する、という緊張感に慣れることで、本番で
十分にやっていけるように、という形で進められていました。

なので、入門して間もないころ、昇級試験を控えた子たちが
前に呼ばれて演武して、フィードバックを受けて、という流れを見ていたころ
「なんであんなことしているんやろう}
と不思議に思ってましたが、昇級試験の現場を見て、なるほどと合点がいったものでした。

自分にできるだろうか。。。
人前に出て、何かをするって、ねぇ。
それも相手あって。。。
大丈夫か?

ここでもいろいろ考えてしまいます。

小学生でもやっているんだから、なんとかなるやろう

意味不明な自信というか、根拠のない肯定感があり
それ以上は気にしないようにして、日々の稽古に励んでいたわけです。

そうしていると、師範に急に呼ばれて、今度の昇級試験のときに
5級を受けるように、とお達しがありました。

おお、昇級試験か!

5級?高校生の私が?
3級ぐらいから受けさせてもらえないのか?

というのが正直な感想でした。
自分はできる!というこれまた根拠のない自信と肯定感が
後を押してくれて、なかなかこれが、厄介な代物でした。

そういう心理なんて師範からお見通しで
しばらくしてから

ミュラー君、前に出て。

試験のリハーサルを兼ねた稽古で
前に出て演武するように言われました。

いよ---し、一丁やったるか!

と意気込んで前に出たところ
受けを取ってくれるのは誰だろう?と思っていたら

なんと、父親がにやりと笑いながら
前に出てくるではないか!

げぇ!

ああ、終わった。。。

うん、知ってた。こういう展開って。

とたんにがちがちに緊張して固まってしまい
なんていうのかな、こう、技のイメージってもんがあり
こうやって、ああやって、というのをイメージをトレースしながら
やるのですが、あっという間に、技のイメージがぶっ飛んでしまい
ああーーーと奈落の底に落ちていくような感じで、グダってしまいました。

技が体に入っていない。

これが最大の原因。

ちびっ子たちの演武を観ていて、あれぐらい自分でもできる!
と傲慢にもそんなことを考えていたわけで。

そのまなざしの奥の心理なんて、親からすればお見通しなわけですよ。
いっちょうシメようか、ということで父親が受けを取ってくれたわけです。

帰宅後の夕食の時間の気まずいこと。。。

にやにやしながら晩酌している父親が

どうや、基本技は難しいやろ。

と一言。

私としては「ちっ」という感じなんですが

うん、難しい。

と言葉少なめに返す。

それがわかったんやったら、いい。

それだけでした。

二人してもくもくと夕食を平らげて
私は自分の部屋に戻っていったのでした。

今から考えると、あそこで説教食らわなかったのが
続いた要因の一つではないかと思うわけです。

母親はなんせ思い通りにならなかったら、思う通りになるまで
ひたすら説教をして行動を修正しようとかかる人でした。
(ゆえにいまだにそういうタイプの人に苦手意識が強い)

同じようにやられるのではないか、と非常に警戒していたことも
事実でしたが、父親は多くは語らず、自分で考えさせるスタンスを
とっていたようです。

それってベースがないと難しいんですけど。。。

問答みたいなもんですね。
刺さってしまったらなかなか抜けない。

基本技は難しい

すべての基礎になっていることで、最終的に行き着く境地なんだから
難しいに決まっているのですが、それを最初にやるってのが
すごいところです。
最初に学ぶの極意に当たる部分。
後でわかったことですが、当時の父親の一言がどれだけ重たかったか
推して知るべしでした。

そして秋の夜長に深夜ラジオのトークが流れ
心地よい疲れが眠気を誘って、深い眠りについていくのでした。

高校1年生の秋が深まったころのお話でした。

続く

もっと説教食らうのか、と大変心配していたのですが





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最終更新日  2022年07月15日 10時00分11秒
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