今日は考える日
今日は仕事が休み。なのでここ最近の気持ちのアップダウンや出来事などを掘り下げて考える日にしてみる。自分の事でアップアップしている。目の前の自分との闘いばかりに明け暮れて周囲への気遣いというものが皆無であった。ダメジャン…。昨晩勉強会仲間のみーきさんからメールをいただいた。なぜか私にみーきさん、謝っている。え?何どうしたの?最初何の事かさっぱりわからず???だった。みーきさんのブログを拝見してやっと理解した。今回の件は私はまったく感知できなかった。まさに他人事にしていた。色々考えてみると今回の件は私が連絡係としてちゃんと職務を全うしていなかった事に端を発していた。連絡係という役目を勘違いしていたのかも。連絡係の役目はとにかく皆に日時と場所さえ再確認してもらい、当日の出席の有無、遅刻者の有無と人数を利津子さんにメールで連絡し、当日会場にちょい早めに到着して司会者の方に出席者の最終報告すればよしっ!任務完了って思っていた。こんだけやればみんな大人だし大丈夫だよね、あらためて連絡するだけでもう~ん、やっぱり親切な団体だなぁと。なんとか任期の間、連絡漏れなどのポカしないように気を付けよう!という感じ。基本、この考えは今も今後も変わらないかも。音声のことは本当にすいません、まったく意識に上がってきませんでした。連絡係の仕事だという認識、ゼロでした。想像力欠如してました。以後、気をつけます。ちゃんとその場で確認します。欠席者や遅刻の方が音声をほしいか否かを確認するのは連絡係の仕事だと思います。その先の音声を誰がどうやって作成し受け渡しするかなどの現実的な事務作業は、まだちゃんと話し合いの場が持てていないのが実情。前例がなかったので今後みんなで考える事だと思います。新たに係を設ける?それともあくまでも自己責任で各々にお任せ?今のところ私は自己責任に一票。あれ?これはここ数日浮かび上がっている「己の冷たさ」の一部なのかしら?ああ、やっぱり私って冷たい人間なのね。意識にも上がってこなかった。他人事にしちゃっていたという自覚も無かった。どうしようか…。と「またやっちまった?」と反省モードに突入してみようと思った。今日は仕事が休みということもあって考える時間はたっぷりある。ええと。罰当たるかな?今回のこと、私の認識では誰も悪くないし、悪者なんていないと思った。ちゃんと考えても誰一人悪くないって思う。私自身もこの件に関しては自分の奥底に潜んでいる冷たい人間ぶりを如何なく発揮…!という程でも無いかなぁなんて思った。職務をちゃんと全うできなかったという反省点はありますが。なんて鈍感すぎるかな?おめでたく考えすぎかな?罰、あたるかな?(2回目)みーきさんはとても真摯で優しい方だからだと思うけど自分を責めるほうにバランス傾きすぎだと思う。今回の件であらためてびっくりするほど優しいと思った。みーきさんの課題と私の課題、一部とても重なってなるなぁと常々感じていたのでとてもとても心にずしんと来る。苦しさもすごくよくわかる。だから勇気をいただけた。勉強会とは別の場面ですが私も同じようなことあった気がする。その課題、すでに実は落第しているのでまたやってくると覚悟しているけどorz卒業!って思っていたんだけどまだだったことに最近気づいたのでした。音声の件に関しては皆でもっとコミュニケーションをとれば解決できると思う。一部の方ばかりが負担感を募らせることが無いように知恵を出し合って話し合えばこの会のメンバーはこの件は問題ない思います。問題があるとするならば「その話し合いをいつ、どこでやるか」って事だと思う。それが一番の問題だし難問だったりすると思う。皆それぞれ住んでいる場所も生活スタイルもバラバラだし皆、万障繰り合わせて集うその瞬間は勉強会だったりするので会場を使用できる時間も限られているし優先順位はやはり勉強会だし。今、ふっと思いつくことはやっぱりネットをうまく利用することかな…?スカイプ?Mixi?LINE?←ガラケーなので私はやっていませんが。フェイスブック?ツイッター?連絡用掲示板?これくらいしか思いつかない。姪っ子が大学生なんだけど今の若い子たちって本当に上手にネットを使ってコミュニケーションとっていると感心する。スカイプで20人同時に会話とか会議とか普通にしている。生活に密着させて当たり前のように使いこなしている。PCスキル低で基本、昭和のアナログ人間なので考えるだけでめんどくさくなってきた。でも「面倒くさい」が色々な事の諸悪の根源だと思うのでここは頑張りどころなのか?本来、「人は人、自分は自分、みんな違ってみんないい」という金子みすゞさんの名作を都合の良いように解釈しているバカ女なのでいろんな「めんどくさいこと」から逃げてきた自覚あり。だからとりあえず考えることから始めてみる事にする。いつも他力本願現実逃避の個人主義(自分勝手)なので。いっそのことみんなテレパシー使えたら楽なのに。というお花畑発言してみる。(めんどくさがりの真骨頂、ここに極まれり)←実は大真面目に考えてしまった。さすが断捨離←(字、こんなんだったっけ?)に励む理由が「掃除するのがめんどくさいから」という女だ。自己責任…。冷たいのかな?もし自分が欠席者だったらって想像してみる。「ぐわ~~~っ、のっぴきならない理由が発生、うわーん、欠席。悲しい。」誰か:「音源ほしいですか?」と問われれば「欲しいです」って思う。これが素直な気持ち。でも私は素直でないのであれこれネガティブに考える。え?誰が作成するの?係あったっけ?録音機を誰かに送る?普通便でいいの?でも配送途中で万が一壊れたりでもしたら、相手に嫌な思いさせちゃうな。だから書留?簡易書留?小包?でもそしたら受け取り手は在宅していなくちゃならないよね。行動を制限させてしまって時間を奪ってしまうよね。私も日中仕事だから郵便局にも行く時間ないよなぁ。ああ。めんどくさいな。と、やっぱり「めんどくさい」って思って音源はあきらめるかも。相手に恐縮するのもめんどくさい。感謝の気持ちを表する<めんどくさいになる自分が容易に想像できるので(あら、相当ひどい奴だわ私)「今回は聞くな、ということなのね、何の罰?仕方ない。あきらめるか…」と「めんどくさがり」な自分を棚に上げあきらめる方向に向かう。こういうのが「自己正当化」っていうのかも。ふたあけると私の場合自己責任ってかっこいい言葉で覆い隠した「めんどくさがり」でした。だから私の場合は本当は誰かに頼むというめんどくさいことをちゃんと実行して恐縮です!お願いしますっていう状況に持って行った方が勉強になるんだろうな。これはだれにでもありうる事だと思うしこれこそ「お互いさま」だと思うし。って頭ではわかる。これは私には「ちゃんと人に甘えることができるかどうか、それに伴う現実的なわちゃわちゃを 想像力をフル稼働し極端に誰かを不快にさせることなく音源をゲットできるか」というテストだと思う。これはあくまでも私の場合。同じ事象でも学びは個々で違うと思うから。「迷惑かけるからあきらめる」ていうのは傲慢だな。学びの放棄。だって誰だって生きているだけで迷惑かけているし。頭ではわかっているけどこの手の学び、私ず~~~~っと放棄し続けています。だから罰だって当たりまくっている。「どこかで人を信頼していない冷たい人間」なのだ。あ。やっぱり私は冷たい人間でした。頼まれるだけなのは楽なんだよね。どちらかというと。自分で背負っちゃう方が楽なんて考えてしまう。う~~~ん。やっぱり私、冷たい人間だ。だからみーきさんの日記にとても優しさ温かさを感じたのだ。ここまで考えても「人の好意に素直に甘える」というのは私には難問なので同じ状況になっても「あきらめの方向で」という楽な道を選んでしまうかもしれない。そうして学びのチャンスを失うという…。音源も手に入らない。という頑なな心を矯正する機会も逃し罰が当たると。やばいな。そろそろなんとかしなくちゃな。こういうのってだんだん大きくなるんだよね。なんだかまとまらないまま、終了…。 にほんブログ村