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昔の冬の記憶ですが、小学校に行く時に必ず家の外にある寒暖計を見るのが日課でした。
今日、母親と話をしていて、あのときはマイナス25度なんてざらだったね、と。 で、ダイヤモンドダストの中を登校する毎日でした。 今のような暖かな防寒具ではなく、 母親のあんだ系との手袋にズボンの下はもちろん股引をはいて、 上に来ているのはセーターの上に薄いアノラックという防寒具でした。 毎朝寒くて寒くて、歩いて学校まで行くと、 教室では石炭ストーブが赤々と燃えていて、 皆で、はいてきて長ぐつと手袋をストーブのまわりにおいて干すのでした。 給食も早めにパンと牛乳を運び、 ストーブのそばに置いていました。 食べるときにちょうと“ぬるく”なっていました。 今よりも寒かったはず。 家も古かったし、着るものも全然違います。 それでも外で毎日遊んでいた記憶はありますしね。 寒くなって泣きながら帰るのですが。 で、よく雪だるまを作ったりしていました。 寒かったけれど、楽しかったですね。 でも、今は寒いのは勘弁ですね。 当たり前の寒さなんだけど…、年ですね、これは(笑) 記憶の中の朝のダイヤモンドダスト。 あれはきらきらとしてキレイだったと思う間もなく、 黙々と学校に向かっていましたよ。 今晩あたりは、スキー場でダイヤモンドダストが出現しそうな寒さです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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