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カテゴリ:東日本大震災
毎年この時期になると311関連の記事を書く。
まだ、思い出にはならない・・・・。 当面は現実としての311が続くのだろう。 あの日、岩沼の空港そばのお客様と3時の約束をしていた。 荷物を積みに駐車場にいて、さて、出発しようかという矢先にあの地震が来た。 最初は9日の地震の治まり位だろうと立って電柱が揺らぐのを見ていたが だんだんと揺れが大きくなってくる。 そのうち、建物の側は危険だと感じられるほど揺れがひどくなる。 道路の中央に出て揺れが収まるのを待っていたが収まるどころかもっとひどくなってきて 仕舞いには道路中央のマンホールから下水が飛び出してくる始末。 これは大変なことになったと思いながらも揺れがひどくて歩けず、店に戻るに戻れない。 少し収まってきた時を見計らい脇の道路に出たとき、更に大きな揺れが来た。 それまで我慢していたのか、アスファルトの道路が大きな音と共に亀裂が入り 泥水が噴き出してくる。 止まっていた車からは搭乗者が降りて、扉を開けたまましゃがみ込んでいる。 5分も続いたであろうか、ようやく揺れが収まってきたので急いで店に戻ると 店も事務所もめちゃめちゃな状態。 後に知るが、これでも我が社は大分とましな方だった。 ランケーブルは引きちぎれんばかりになっていた。 在庫の名刺や書籍は棚から落ちて散乱、机も15センチ以上移動、不安定な物は全て 投げ出されている。 この時点で、電話は不通、電気は停電。 近くの変電所が短絡したらしく、ショートして焦げたような臭いと煙が漂ってくる。 そうこうしている内にも、何分かおきに結構大きな余震が来る。 店の前の街路樹にはおびえた子供と母親が立木にしがみつき、揺れが来るたびに 子供は泣き叫び、母親は「えー・・・・またぁ」と悲痛な声。 私と妻はここは危ないので幼い女の子とその母親とともに広い駐車場の中頃に移動 三時頃まで大きな余震が続き、だんだんと大きさが小さくなり間隔も広くなってきたので 店に戻り、被害状況を確認。 なんとも、表現のしようがないあの時の気持ちは。 夢でも見ているような現実感が無いのだ。 「いーやぁ、後でゆっくり片づけっから」と妻に言った記憶がある。 実際は何も考えていなかったにも関わらず。 電気がない状態でのマンションの店舗は洞窟と同じで何もしようがない。 それよりも泉の自宅がどんな状況か、息子は無事かとまず帰宅を急ぐことにした。 この時点では津波はまだ到達しておらず、3時20分頃のニュースは沿岸部の住人に 避難の呼びかけを繰り返し、消防のヘリが沿岸部に避難の呼びかけのニュースが繰り返されていた。 泉の自宅までは車でおよそ30分の道のりだが、道が混雑してなかなか進まない。 3時30分には事務所を後にしたのだが、通常なら10分でつく場所が4時20分 50分も掛かっていた。このときのニュースは荒浜で大きな人的被害が出た様子を 伝えていた。 深沼海水浴場におよそ200体程の遺体が浮いていると言ったニュースであった。 いろいろと回り道しながら来たが、途中、宮城生協台原店が営業をしていて、何か 必要物資があればと寄って買い物をしたが、これが幸運というやつだろう。 すでに電池などは売り切れていてがお菓子や水などはまだあって、買える物を 買って帰宅を急ぎ、それでも帰宅したのは午後7時位になってしまった。 ちょうど息子も帰宅し皆でそろっておそるおそる自宅の玄関を開けたのだが 案ずるよりも産むがやすし、以外に被害は軽微で店の散乱状況とは比較にならないほど 私の大事な焼酎が割れて台無しになった位であとは家具が15センチほど移動していただけで すんだ。(後の調査では半壊の認定となったが) この年は町内会の役員の割り当てで会計をしていたが、すぐに会長他と連絡を取ろうとしたが 数人の役員と連絡が取れただけでどうにもならず、取り敢えず集会所を避難所にするために 解放し、避難指定場所の小学校に駆けつけた所、避難民と間違えられる始末で 満杯なので入れませんの一点張り。しかし、全壊して本当に困っている人だったらどうする つもりなのでしょう?とても理解できません。 後で聞くと700人余りが避難所に押し寄せ、連合町内会での対応がうまく出来なかったようだ。 実際、このような倒壊が結構あった。 家で無いから良いようなものの居宅ならどこに避難するのか 市内ではないが・・・。 これこそ、一夜を過ごすのさえ困難では? こんな倒壊が県内そこら中にあった。 津波の人的災害に比べるべくもないが、地震の揺れだけで相当数の建物が破壊されている。 兵庫の震災もこんな物では無かったろうに兵庫県民はよく頑張ったのだろう。 実際、自分が被災してみないと本当のところは分からない。 神戸淡路もどこか他人事だった自分がいる。 でも、日本国中、いつ、被災者になるか分からない。 この上、原発事故が起きれば更に避難せねばならず、いつ帰れるともしれない。 今まで何事も起きなかった原発付近のあなた。 双葉町の皆さんと同じ運命を辿るかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.24 13:19:04
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