カテゴリ:日常生活
年を取って来たせいか?毎日の習慣のせいか相変わらず朝早くに目が覚めたが、トイレに行ってから再びベッドに戻り、朝9時までゆっくーり寝かせてもらいました。旦那と息子は仕事に行き、娘と私は、先週に引き続き、お勉強。これも一種の「考える人」。どの科目もどんどん難しくなってきて、今日は算数とWritingを5時過ぎまでやってお終い。旦那と息子は4時頃帰ってきたが、ガラージでボートを作っていた。
旦那に声を掛け、今日の夕食は旦那が作ることに決定。こってりした物が食べたくなかった私に旦那は、近くのスーパーに行き大きな切り身のグルーパーを買い、レモンジュース、バジルと香辛料をかけてオーブンで焼いてくれた。それにサラダとご飯、残っていた豆腐一丁を小分けして夕食の出来上がり。ついでに旦那は私の為にピノ・グリジオのワインも買ってきてくれた。たまには優しいところもあったのねぇ!でも、このあっさりした魚は子供には不評、旦那はこのグルーパーに25ドルも使ったんだぞ!(確かに日本と比べると魚の値段がとんでもなく高い。)と文句を言っていたが、そんな事が子供達に分かる訳はない。私は、その光景を横目に見ながら黙々と夕食とワインを楽しんでいたのでした。(笑) 夕食後、旦那とロダンの「考える人」の話題になった。うちには玄関のドアーを開けると直ぐに、「考える人」の小型番がある。その辺のアンティックストアーで買えば80ドル位で買えたものを旦那はEbayで1??ドルプラス送料を払って手に入れたものである。おまけに考える人と考える人が置かれた石の間には取ろうとした傷跡がある。娘はこれがあの有名なロダンの「考える人」何て言うことは知らないから、Naked Manと呼ぶ。いつのまにか帽子掛けとして使われることも多い。(笑) 旦那がこの「考える人」のミニチュアレプリカを買ったのには、理由がある。1に旦那は、アート好き、そして2に上野美術館に良く行っていた頃の思い出があっての事が理由である。この「考える人」には色々な人によっての言い分がある。 簡潔に紹介すると、ある人に言わせるとこの「考える人」は考えているのではなくて、地獄に落ちていく人を「見ている」という説。この「考える人」は有名な「地獄の門」の真中にある。そして、この「考える人」と言う題名は、ロダン自身が名付けたものではなく、他の彫刻家によって名付けられたものらしい。言われてみれば確かにそうも見えるが、旦那の意見はこうである。「考える人」は、「地獄の門」が完成する前に作られたもので、腕、足、筋肉の形にしても全て考えることに全身を注いでいる姿であって、単に「見ている」姿ではない、これぞ「考える人」の姿なのだと言う。 アートセンスの全くない私にはどっちでもいい話で、「考える人」=私の頭に浮かぶのは、某英会話学校の「入ろか、帰ろか考える」って「考える人」が出入りしていたコマーシャル。 それにしても、何事もそれぞれの人の考え方って面白いものですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月31日 02時30分30秒
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