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テーマ:剣道やろう!(850)
カテゴリ:技術
鬼道場が、閉館する数ヶ月前、先生は、鬼道場三十周年記念誌を発行している。 正確に言えば、(宗辰舘剣道場三十周年記念誌) 初代舘長先生の話や、武専の話、歴代の鬼道場の先生の話や、門下生の書いた論文など、(下手な自分の作文もあるけど。。ミセナイ!) 良い話が、目白押しなので、たま~に読み返しては、ネタ切れの時、ブログに載せることにしています。
今回は、鹿児島県出水にある洗心舘(鬼道場の姉妹道場)永田健太郎舘長先生(当時93歳武専卒)のお話の内容を引用いたします。
●内藤高治先生は、北辰一刀流で、武専は、北辰一刀流の流れである。 ●武専は、形と打ち込み稽古で、試合はない。 ●切り返しは息が切れるまで、そして下がって体当たりする。 ●切り返しを多くやれば、右手首が、折れるようになる。 ●一息で息が切れたら面か体当たりをする。 ●武専の剣道は、技ではない。 良い人間、良い子を育てるのが、目的である。 国の為、家の為になる専門家を育てる。 ●技でなくどちらに気力があるか、どちらが強いか弱いかではない。 剣は人を作り、人が剣を作る。 その繰り返しである。技術ではない。 ●身体から、身体へと受け継ぐ。 ●例えば、不良少年が剣道を学び、その少年が大成して又剣が良くなり、人に引き継いでゆく。 ●武専の剣道は、気と間合いである。 ●技は、形から学び、教えは、時期が来なければわからない。 ●歌舞伎役者は皆んな身体が柔らかい。 野球のイチローも柔らかい。 ●打たせまい、打とう打とうは力が入り良くない。 人相までかわる。 ●相撲の大鵬曰く、 今の相撲取りは芸能人になりすぎだ。 ●万物は運である。 神のおぼしめしである。 ●先生は予備仕官学校の教官として兵を指導されて戦地には行かれなかった。 これも運であるとの事。 ●剣道は、スポーツでもない。 道でもない。 信仰である。 信仰のない人間は教えない。だから剣道をしている。 ●剣道が道である内は本物でない。 運も選択権は自分にある。
以上が先生が、焼酎を飲みながら伺った武専の話でした。 良い話だなぁ~ オレのボキャは、少ないねぇ~!
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