先日観た「京都魔界巡礼団:オカルト編」の番組で紹介された内容の第2弾★です。
桓武天皇が長岡京をたった10年で捨て、平安京に新たな都を築いたのは何故か?
ご存知の方も多いと思いますが、「無実の罪(多分)で陥れた実弟の早良親王の祟りで近しい人を次々と亡くし、長岡京に雷が落ちまくった」からと言われていますね。
平安京は四神相応の地で、都造営にもってこいの土地でした。
四神とは、「東の青龍」「西の白虎」「南の朱雀」「北の玄武」の事を言います。
京都は四方を山に囲まれ、西の桂川、東の鴨川が南の淀川に合流するという、エネルギーが充満する土地なんです。北には霊験あらたかな船岡山や貴船山がそびえていますしね。
ですが、そんな理想的な土地でも、怨霊には敵いませんでした。
まず、桓武天皇がした事は、昔からある「松尾大社」と「上賀茂神社」の神様の位を上げ、奉ること。
そして、表鬼門や裏鬼門に「御霊社」を建てていったんです。
御霊社とは、「怨霊」に位を授けて神様に仕立てるというもの。
都に災いをなすものに、都の守りをさせるという策に出たんですね。
すごい発想です~。そんなに「位」って大切だったのでしょうか。。
その中で有名なのが「御霊神社(上御霊)」や「下御霊神社」「崇道神社」などでしょうか。
「北野天満宮」もそうですね。菅原道真公が奉られてますからね。
「崇道神社」は早良親王が奉られています。
「御霊神社(上御霊)」や「下御霊神社」は凄いですよ!
八つの御霊が奉られているんです。そのために、八所御霊と呼ばれているんですわ。
「崇道天皇:早良親王」(光仁天皇の御子、桓武天皇の同母弟)
「井上大皇后」(光仁天皇の后)
「他戸親王」(光仁天皇の子)
「藤原大夫神」藤原広嗣)
「橘大夫」(橘逸勢)
「文大夫」(文屋宮田麿)
「火雷神」(菅原道真)
「吉備大臣」(吉備真備)
そうそうたる面々ですね。
ですが、それでも都の天変地異や怪奇現象は治まらなかった。
そこで桓武天皇は怨霊(御霊)より、もっとパワーを持ったものに力を貸してもらおうとするんです。
それは、荒ぶる神「スサノオノミコト」
疫病を振りまく鬼神と恐れられるそのパワーで都を守ってもらう事にしました。
その代表的な神社が「八坂神社」です。
八坂神社はその昔「祇園社」と呼ばれていたんです。
祇園と言えば、「祇園祭り」
この祇園祭りって怨霊を鎮める「御霊会(ごりょうえ)」だったってご存知でしたか?
都に天変地異が起こったり、疫病が流行ったりすると、それは「怨霊の仕業」と考えられていました。
その御霊を鎮め、慰める為に行う祭りが「御霊会」
1000年も昔の風習がこうして伝承されているのって凄いですね。
昔の御霊会も法師や陰陽師による加持祈祷は勿論の事、雅楽演奏があったり、若人の殿上人が舞を舞ったりと結構派手な事してましたし、神輿の巡行もあったようです。
そこで!番組を見ていて「マジかよ!?」と思った事をひとつ。。
ナビゲーターの人が阪神大震災が起こった時に「おいおい、ちょっと京都も危ないんちゃうん?」と思って、断層を調べたらしいんですよ。
で、京都にもたくさん断層はあります。
それでナビゲーターの人は、断層の要所要所に、スサノオノミコトを奉った社が建っている事に気付いたらしいんです。
そして、その断層の行き着くところは。。。「桓武天皇陵」だったと言うんですねぇ。
「ひょっとして、(桓武天皇はここに断層があると)知ってはったんかな?」って仰ってました。
知ってて、そこの守りに「スサノオノミコト」の社を建てたんだと!?
それが本当だったら凄い事です~。
ゲストの人の話によると、「平安京は都が出来るまでは、地震がそんなに起こらない土地」だったそうで、「遷都されてから、頻繁に起こるようになった」らしいです。
それほど、怨霊の力って強大だったって事ですよね。
平安京といえば、雅な雰囲気を直ぐに思い浮かべてしまいますが、裏を返せば闇の世界にビクビクしながらの雅さだったんですね。
京都はホンマに奥の深い都です。