10月7日16:33母が亡くなりました。
その日、15時30分頃に
「母さん、たぶんアカンわ。何かポテッて…、
救急車呼んでるんやけど…」という父からの電話があり、
実家に帰る準備をしている時、
「母さん死んだわ。心筋梗塞やって。」と再び連絡がありました。
完全に息を引き取ったのは搬送先の病院の入口でだそうです。
8日に通夜、9日に告別式と九州の親戚もやって来て
バタバタした日が続いてました。
こないだ8月の帰省が、母と過ごした最後の時間になりました。
9月になって食欲もなく横になったまま動かないので、
近所の内科の先生に往診に来て貰ってました。
腹水もたまっていて黄疸症状も出ていたそうですが、
母が採血や診察を拒むので、お腹の水を出す為のお薬だけ処方して
貰っていたそうです。
亡くなる数日前、「お父さん、わたしもう何もできへんねん」
と母が何も入ってないカバンを差し出して来たそうです。
いつも買い物に行くのに使っていたカバンは、
財布が入ったまま押し入れに置かれていたので、
もういつものカバンの見分けさえ出来なくなっていたんですね。
認知も進行し、食欲もなくなり起き上がる気力もなくなっていた
母ですが、往診に来られた先生も、ヘルパーさんも、
父ですら母の死は予期していませんでした。
亡くなった日の前日、ヘルパーさんが来られていました。
ヘルパーさんの日誌に、
『訪問時ズボンを脱いでパンツ一枚で横になっておられました~
起き上がられしばらくソファーに座っておられます。
何回もため息を「ハァー」とついておられました。』
とあり、亡くなる前日に母さんがハァーと何を思っていたのか
と思うと涙があふれてきます。
母さん、そっちでは大好きな爺ちゃんに会えたかな。
元気な時に孫を抱かせてあげれなくてゴメンね。
天音ちゃんをよろしくね。
もっともっと母さんに感謝の気持ちを伝えたかったです。