実家に滞在中、母が書いたメモが2つ見つかりました。
一つは、平成20年8月に化粧品のローンを組んだ契約書の備考欄に
『化粧品を使っていたら、色が白くなり
シミ、シワも無く 10~20年の年の時の写真を見て
変わらなくなり、主人にしたら美人になったねと
ほめられました』
¥123,480.-もの契約を交わしたにもかかわらず、
契約書を紛失、支払いもせず放置し数ヵ月後に父に発覚しました。
この時も着実に母の病気は進行していたんでしょう。
もう一つは、母が買い物に行く時に使っていた
バッグから見つかりました。母の妹から母宛に届いた年賀状と
A4用紙にメモ書きしたものが一緒に重ねてあったそうです。
『私の実家の農家 九州の熊本 あそさんのふもと
私の妹の子供の次男の結婚 熊本城近くのホテル
妹の家の熊本市内の近くです
三月が結婚式でした
三月四月五月毎日 雨がふり
かみなりや出やすい私の実家です。
私の妹の市内はかみなりがなりません
父、母 二人共 上、下ともいれば
二回共入れました 私の親です。
熊本と奈良の歯医者を行くようにいわれました
食品をたべる時 上、下の歯を
はずします。本人の歯がいたくなります
私の娘が妊娠して女の子をうみました
奈良の実家にかえって来ました』
母の妹の次男の結婚式は、妹のためにどうしても
参加したいと言い張っていたのですが、周囲に迷惑をかける
ので何とか説得して欠席になりました。
私が出産したことも書かれているので、
昨年6月以降に書いたのだろうと推測できるのですが、
父も「いつ書いたか分からない」と。
父が母のカバンを整理している時にこのメモを見つけ、
私にその用紙を渡しながら、
「母さん、何でこんなん書いたんかな」ってその声は震えていました。
私も涙があふれそうになりました。
月ちゃんを連れて実家に何度も帰りましたが、母は何も分かって
ないと思っていました。
分かっていることもあれば、分からなかったり、別の人になっていたり…
でも、母は“忘れまい”とする思いがあったんだなと。
どんどん記憶がなくなっていく、色々なことが分からなくなっていく…
恐かったろうな。
母さんの頑張りを胸に刻んで、これからの人生を歩みます。