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おのづの介護奮戦記

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2008年12月05日
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カテゴリ:パーキンソン
あのまま 日記を終わりにしようと思いましたが
応援してくださった方々 コメントを下さった方々のお礼を込めて 追記させていただきます

11/29死去
12/2 お通夜
12/3 告別式

無事に終了いたしました


思えば 母にパーキンソンの兆候が現れたのは15年ほど前でした
今まで機敏に動いていた母の動きが スローモーになり
何か物をとるときでさえ 亀のようにゆっくりとなりました
最初は五十肩かなと 思いましたが 今となってはあれが症状の初めだったと思います

徐々に身体全体の動きが悪くなり 振旋という手の震えが出ました
歩くときの歩幅が半分以下になり つま先やかかとを持ち上げることなく
すって歩くようになり その結果転倒ばかりしていました
全く足をもちあげないので たった5ミリの段差で転び(カーペットの厚さ)
母自身も「あーもういやになっちゃう!なんでこう転ぶんだろう!!」と憤慨しておりました
家事をするのも一日がかりになり 代わりに父がやっていました
着替えもできなくなり 靴もはけなくなりました
パーキンソンのL-ドーパという薬でも 抗鬱剤でも過敏に反応し精神異常が強くでるため
パーキンソン症候群レヴイ小体型痴呆という病名が告げられました

レヴイの特徴としては 幻覚 せん妄 周りの気遣いができない 判断が甘いなどがあげられます
通常の生活をしようと思えばできるけれど 歩くと危ないから歩かないでといっても「私は歩けるんだ!おまえはうるさいやつだ!」などと言いそして歩いては転んでの繰り返しでした
トイレに行かせるのも身体が動かないからおむつにしようねと言っても「おまえは 実の親におむつをつけさせる気か!子供ならできるだけおむつにしないようにするのがつとめだろう!」と憤慨し40分毎にトイレを要求し20分かけてトイレを済ます そして手伝ってもらっても当たり前のように思い 私がすぐかけつけないと罵倒するような日々でした

そのような生活を二年も続けていたら 実の子供でさえ 大きなストレスとなります 言うとおりにしなければ口汚い言葉を吐かれ 鬼のような形相で怒り 何度か衝突したこともあります 子供としてできる限りのことはしたいけれど どうやったって母の意に沿わない事もしなければなりません そういう時は胃に穴が開きそうでした

母のそういう行動に振り回された結果 私は二週間で9キロも痩せ 全く動けなくなってしまいました 私が自分の部屋で寝ていると呼ばれるので 母の横でぐったり横たわっていると 「大丈夫かい?胃潰瘍なんじゃないのかい?病院早くいっておいで」と自分が原因とも知らず早く良くなってくれという矛盾した母と相対することに限界を感じ専門病院へ連れて行ったところ緊急入院という形になったのです

色々なことがありました 家で何の不自由もなく手足のように動いていてくれた私がいなくなり 病院の個室に移った母は気がふれた人のようになってしまいました
当然のごとく拘束帯でしばられ 要注意人物ということでナースステーションに車椅子で繋がれていました 個室は私がいるときのみ使用され 寝るときも集中治療室で睡眠薬の注射をされて寝させられました
このいきなりふってわいた自分の不幸を 母は全部私のせいだと思い込み 一年以上私の顔を見るたびにありとあらゆる言葉を使って私を責め恨み辛みを言い親の敵を見るような目で私を見ていました

正直辛かったです
この頃は私は母を病院へずっと入院してもらうかどうかの決断に迫られていたし 母からも恨まれ 元主人の両親からも色々言われ 母の兄弟からも色々言われ 自分を責め続けました
母に悪いことをしているからお見舞いに行かなければと思いながら 今日もどんな事を怒鳴られるのかと思うと行きたくなかったし 何度もお腹が壊れ それでも笑顔を作って母の前に行ってもいい思いをすることは少なかったです

私はありとあらゆる精神異常をきたした患者に対する接し方の本を読みました
一番良いとされているのは ボディタッチです
実際に母の手や足をマッサージしていると 母は大分落ち着きます
だから 私は最後の最後まで母の顔のマッサージや手足のマッサージを続けました
気持ちがいいと思うことをしてくれる人のことを嫌いになる人はいませんよね
正常な判断ができなくなってしまっていても この人は自分にとって良い人だとそのとき感じることができるならそれでいいのです
記憶には残らなくても 会うたびにしてあげれば 落ち着いて対応できるようになります

そうやって 五年間入院生活をしている母のお見舞いを乗り切りました



不思議なお話を一つします

逗子の病院で亡くなった母を家に連れて帰り 門送りの時まで何度も私は顔の布を取って母に話しかけました
実際 母を家に連れて帰った後 親戚の方がいらしてくれたし 私の友人たちも来てくれています どの人も まるで眠っているようだ と言いました
逗子の病院で死化粧をしてもらったと書きましたが パウダーの薄いファンデーションを鼻と鼻の下に少し塗って口紅をつけただけでした
三日間私は母のそばにいましたが 顔には全くと言っていいほど死斑がでることもなく 血色が良い顔ですやすやと寝ていました ただ足を見るとやはり死斑がでていました

あまりに血色がいいので 友人の一人が「お母さん 肌きれい!」とびっくりしたほどです

なので私は母が本当に寝ているように思え やっと母を家に連れて帰ることができてほっとし 変な話ですが嬉しかったです
このまま母がすやすや寝ているのならお葬式なんかせずにずっとこのまま家で寝かせてあげたいなと思いました

だけど 父は母をずっと待っていたはず 死ぬ直前まで母を心配し「俺が 家に帰らなきゃ お母さんが心配だ」と言っていたほどでしたから やはり荼毘にふしてあの世に送らなければいけないんだなあと思うと嬉しい反面悲しい反面 複雑な心境でした

母は長い間進行性の難病と戦ってきましたので ようやくこれで開放され 自由に歩き どこへでも行き 好きなものを食べれるようになったと思うと 父が亡くなったとき大泣きした私ですが ほっとした気持ちでした ああ これで母は自由になれたのだと・・

12/2 お通夜の前に 門送りが午前11時にありました
葬儀屋さんが来たときも母は大変よい血色ですやすや寝ていたので 葬儀屋さんも「大変お顔の色もよろしいので死化粧はしなくていいですね?」と言ったので「はい」と答えたのですが・・・

その日の午後4時に私は前日泊まってくれた友人と斎場に着きました
まず母を見て「え!」と思ったのは 顔が全く変わってしまっていたことでした
死化粧はしないと言っていたのに 厚く塗られたファンデーション なぜか分からない一文字に伸びてしまった口 垂れ目だったのに釣りあがってしまった目
私はすぐに係りの人を呼び 治して欲しいと言いました
母はおちょぼ口だったのに 例えはひどいですが口割け女のごとく口が横に伸びきっています

なんとか修正してもらいましたが それは修正というより 伸びきったものを肌色に塗り 小さく口紅でここが口としているようなものでした

係りの人は どうしても亡くなってずっと仰向けにいると重力で下にひっぱられますからと私に説明していましたが それはわかるのですが どうにも解せません

家にいた たった三日間だけど 昔の母と全く変わらないきれいなお顔だったのに
斎場についたとたん 顔が崩れだすなんて・・

お通夜の夜 親戚の全員が家に帰ったので私一人斎場に泊まることにしました
夜中 なんども母の所へ行っては最後のお話をたくさんしましたが ふとみると 額に傷がありました これはぶつけた傷というものではなく 肉体が痛んできているという証のようなものでした

霊感はもう無くなっているけれど 母はひょっとしたら家にいる間私の前で変わり果てていくさまを娘に見せたくなかったのかな?と思います
崩れていく肉体を見れば私が悲しむだろうから せめて家にいる間だけでも顔は維持しようとしてくれたのかもしれません

お通夜 告別式 喪主として 取り仕切りました
今 さまざまな手続きをしています
お骨になった母の祭壇の下に 母と父の両方の遺影を飾りました
お寺さんに聞いたら 位牌を両名一緒にいれることができるというので
是非そうしてもらおうと思っています

肩こりと腰痛がひどいのと 8年間母のためだけに生きてきた存在がぽっかりなくなってしまった喪失感で身体が動きません
抗不安剤を3錠飲んでも全く効きません
ですが 実の親を亡くしたわけだから 精神的打撃というのは当たり前のことですし 精神科へ行ってもっと強い薬に変えてもらうことはしません
時間とともに 解決していく問題だからです
それでも午前中はあちこちに母の名前で契約してあるものの名義変更のために電話をし
午後には実際に出向いて行わなければいけない手続きに毎日翻弄されております
しばらくは それでもいいでしょうね

最後になりますが 私が告別式にスピーチした文章で終わりの言葉と替えさせていただきます
困ったことがあったり 悩みがあったら メッセージに送ってください
返信できる方には私の経験上のアドバイスでよければお返事申し上げます


本日はお忙しい中 母の告別式にご参列いただき誠にありがとうございます。
母は11/29容態が急変して永眠いたしました。享年79歳でした。
15年程前に難病を発症し、亡き父と共に介護をしてきましたが、父が亡くなった後、急速に病が進行し、在宅介護が限界をきたし、入院生活となりました。
幸い、専門病院に入院する事ができ、病院の皆様の暖かい看護によって安心な入院生活を送り、安らかな眠りにつく事ができました。
生前の母を一言で言えば良妻賢母です。
本当に家族思いで真面目で几帳面で、寝坊するような事など一度たりともありませんでした。
晩年の父は私を目の前にして母に向かって「愛しているよ」と言いました。大正生まれの父が言葉に出す程、母は父に愛されとても幸せだったと思います。
私も、もし再びこの世に生まれてくることがあるのなら、やはり亡き父と母の子供として生まれてきたいです。
私の願いは亡き父と母があの世で再会し、幸せに暮らせること、それだけです。
入院中の母を何度も訪れ、励まし、勇気付け、又、私の知らない所で皆様にずいぶんお世話になった事と思います。
故人に成り代わりまして心から御礼申し上げます。
本日は最後までお見送りいただきまして、誠にありがとうございました。





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Last updated  2008年12月05日 21時38分51秒



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