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カテゴリ:雑感
最近、何かのきっかけで、マスコミが集中的に追求し、かつての名声や評判がづたづたになっていく場面をよく見る。ジャニーズ、ビッグモーター、宝塚、日大アメフト部、自民党安倍派などだ。いわゆる手のひら返しだ。確かに悪いことをしているのだが、マスコミの追求がすごく、悪くない人まで巻き込まれている。
かつて日露戦争後のポーツマス条約は正確には戦争継続が不可能なくらい傷ついた日本にとっては、最良の交渉結果だったにもかかわらず、「屈辱だ。樺太全土を取れ、賠償金くらいは取れ、ダメなら戦争を続けろ」と国民を煽ったのはマスコミ(新聞)であり、国民も熱狂的になった。新聞を売るためである。この熱気がその後の太平洋戦争(負けるとわかっていても突き進むバカな熱気)につながった。(「逆説の日本史26」井沢元彦」) マスコミは怖い。少しのほころびでも、食いつかれたら最後、ボロボロにされてしまう。 手のひら返しはざらだ。 その点、絶対手のひら返しはないであろう域に達している存在がある。吉永小百合や高倉健を思い浮かべるが、最たるものは天皇である。 私は、「天皇はなぜ、2000年にわたり崇められ続けるか」というテーマで研究し続けている。 強かったからという説もあるが、それなら、さらに強い豪族があらわれたら滅ぼされる。最強の軍事力があった徳川幕府も260年で滅びた。天皇は2000年に渡って、ほぼ万世一系で豪族にも武士にも滅ぼされなかった。 道のど真ん中に大きな岩があって、今の土木技術なら取り除くのは可能なはずが、わざわざ道が迂回しているのを見ることがある。この岩を除去すると祟りがあると伝わっているから除去できないのだ。 私は天皇の祖先は神を祀れる人だったと思っている。呪術を使う巫女だ。神の概念がまだなければ自然をあやつれると言ってもいいだろう。この地位につけるのは、ただ強いだけではない、清い人でないとできない。そしてこの人物を滅ぼしたら祟りがあると信じられてきた。祟りとは天変地異や疫病など不幸である。日本人にはこの祟りの概念が宗教のように染みついている。 そして天武天皇が書かせた日本書紀・古事記で天皇のすばらしさを説いて、天皇の地位は押しも押されもしない存在になった。 これ以降は外戚になり天皇の権威を借りたり、天皇から政治を任せられることはあっても、天皇(皇族)を滅ぼすなどと考えるものはいなくなった。(一部あったが未遂に終わっている。) つまりマスコミからの批判(手のひら返し)など、とんでもない存在となったのである。 そして大谷翔平も、この域に達したのではないだろうか。 今後、スランプなどピンチがあっても手のひら返しの批判をされることはないであろう。 もしあるとしたらマスコミはその程度のものであろう。 天皇の日本史(1) (角川文庫) [ 井沢 元彦 ] にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.12 11:09:51
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