|
カテゴリ:雑感
私は、妻から常々「配慮がない、気配りがない、思いやりがない。」と言われている。
自分も認めているが、先日温泉で体を洗っていると、背後から勢いよくシャワーがかかる。この時うしろで体を洗っている人は「配慮がない」なと感じた。多分こういう人は、何につけても杜撰で、横柄だと思う。 私は少なくとも、後ろにシャワーがかからないように「配慮」している。 ちなみに最近は、このトラブルを避けるように後ろを壁にする温泉施設も増えている。滋賀県長浜の「あねかわ温泉」がそうだ。 さて自分も配慮することがあるのに、なぜ「配慮がない、気配りがない、思いやりがない。」と言われるのだろうか。 考えてみると人に迷惑が掛かるようなことには、配慮するが、それをしたらベターだが、しなくても大差ない、つまり好感度狙いの気配りはあまりしないということだった。 私は、できる限り自分でできることは自分でし、人に依頼しない傾向がある。 例えばテーブルの端にあるものを、「取ってくれ」とは言わず、自分で取りに行く。 自分でできることは自分でし、依頼しないという考え方があるためか、人の手伝いもあまりしない。「それぐらい自分でやれ!」と思ってしまう。 誰かがあまりに重そうな荷物をたくさん持っているときは、たまらず手伝うが、女性が荷物を持っていたら、持ってあげるのが当然だろうという好感度狙いは苦手だ。 私の持論として、気配り、思いやりの多くは偽善で、自分を良く見せたいという腹黒い気持ちからするものと思っているので、あまりしなかった。 しかし、スティ-ブン・R・コヴィーの「七つの習慣」という本を読み、信頼口座という考え方に触れ、好感度狙いの気配りも必要かなと思いました。 約束を守るなどの当然のことも含め、気配りなどで信頼の点数を貯めておけば、万が一不義理になることが発生しても貯金を使って耐えられるというものだ。 完訳7つの習慣 人格主義の回復 [ スティーヴン・R.コヴィー ] にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.08 06:12:27
コメント(0) | コメントを書く
[雑感] カテゴリの最新記事
|