●松戸市NPO市民活動見本市を終えて。
去年の10月頃から、このイベントの実行委員会に参加して、半年の準備期間を経て、3月1日にこのイベントは開催された。参加団体65、大半がNPO法人だが松戸市や京葉ガスなども参加している。誤解を恐れずに言えば、コレはNPOを組織し活動している人々の祭り、文化祭のごときもの といってよい。講演会、パネルディスカッション、展示あり、相談室あり、バザーや野菜の即売まであった。私は最初から決めていた。体育館で行われる体験スペース。つまり、実演コーナーの運営である。ウクレレ合奏、詩吟、車椅子ダンス、紙とんぼの飛ばしっこ---これらを体育館を舞台としてごらん頂く。参加を呼びかける。これも誤解を恐れずに言えば、文化祭における学芸会である。去年見ていたら,時間割だけがあり、次々と参加団体が舞台に上がり自己紹介をし演技を披露、次が登場する という無政府的運営だった。見るに見かねて割って入り、交通整理的に運営をした。一人でCDをかけ、司会進行し、時間管理もする。マイクが不調だったり、CDプレーヤーが故障していたり散々だった。今年は企画段階から立ち上げた。プログラムも私が組み立て、参加団体に図った。運営は代表を出していただき、3人で行った。司会者と進行係と音響担当を分業にした。会場案内やインフォメーションを組み入れ、会場全体の場を盛り上げる要素を取り入れた。昼休みには 曲を流し続けた。また、プロ歌手の飛び入りを受け入れたので、そこは大いに盛り上がった。つまり、あたかもFM放送局が開催中は開局している状態を作り上げたのだ。司会も午前の部はわたし、午後の部は三十代女性が担当した。万全の準備をしたから、当日の運営はすらすらと行った。時間管理は予定どうりぴしゃりと決まり、飛び入りもさばき、だれることなく会場の雰囲気を守り立てた。これらの作業を躊躇なく出来たのは、私の映画宣伝マンとしてのキャリアが役に立った。自慢するわけではない。が、私はこの道のプロだったのだ。渥美清や郷ひろみ、松坂慶子や山田洋次監督を出演者として計画し、運営し、何度も危ない橋を渡ってきた。失敗するとこっぴどく叱責され、自己嫌悪に陥る。成功すれば、たくさんの人々の喜ぶ顔が見られる。満足感に浸った。こういう経験を、少なくとも数百回こなしてきた。それで給料を貰っていた。スキルが身に付かないわけがない。プログラムを終了し、関係者や出演者から、「ありがとう」「楽しかったよ」と声を掛けraれた。何よりうれしかった。舞台進行などというキャリアは定年後は無価値で、何の役にも立たない。そう思っていたけれど、立派にお役に立てることがあるのだ。この発見が、最大の収穫だった。祭りは終わった。次に、やって来るのは何なのだろうか。