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カテゴリ:和製ポップ
神戸の家にステレオが始めて現われたのが、1960年。 大体、こんなタイプで、きれいなお姉さんは付いてない。 洗濯機は1958年。洗濯機は、もちろん1層式で脱水機はない。 その代わりに2本のゴムローラーが並立にセットされ、洗濯物を手動でローラーで廻すことで絞るのである。 オヤジが中古ブルーバードを買ったのが1963年。 もちろん、クーラーは無い。が、写真のような三角窓が付いていた。 これが、どれだけ風を車内に運んだか・・・
日本は成長期にあったのだろう。
で、ステレオの話。 当時は、真空管方式がほとんどである。 今のようにコンパクトな物はない。 レコードプレーヤーとアンプとチューナーと二つのスピーカーをバラバラで買っていた。 全てが一体式とスピーカーボックスの部屋に合わせて好きに配置していた。 特記すべきは、チューナーのことである。 FMステレオは、現在のように受信するのでなかった。 チューナーに2つのチューナーが付いていた。 ということは、右のスピーカーと左のスピーカーと違った放送を流すことが出来た。 これによって、FM放送は、片方にNHK第一、他方にNHK第二を選局する。 これによって、ステレオを聞くことが出来た。 日曜日の朝、特別にFMステレオ放送があって、放送の中で選局方法を説明し、記者の音が右から左へ動くように音を流してくれた。 この方法は何年続いたかは覚えていない。 1963年にステレオをオヤジは買い換えた。 もう、1台で2チューナーは終わっていたのではないだろうか。 FM放送のステレオ化の技術が上がったのだろう。 1963年、オヤジも35歳である。 会社から帰り、夜遅くまで、会社の音楽好きの友人とステレオを配線やセットをしていた。 完成後、ステレオから流れてきたのが弘田三枝子の『砂に消えた涙』だった。 オヤジのこの友人赤嶺さんは若死にした。 『この曲が好きやねん』と小学5年の僕が赤嶺さんに伝えた。 『わぁー、ませてんなぁ、恋の唄やで』との返事に僕は顔を真っ赤に上気させてしまったの覚えている。 子供が恋なんて言葉のことに関わるのが、恥ずかしかったのだ。 永くなったが、 弘田三枝子の『砂に消えた涙』である。 イタリアのミーサ(←違うな^^覚えてない)のカバー曲ですわ。 ↑クリック 上のミーサやなくて、YOUtubeにありました。 ミーナ←本人の分です。
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Last updated
2009.01.18 21:17:47
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