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あの日・・平塚の自宅に喪服他、取りに戻った時の富士山はいつもより遠くにみえた。
今回の富士山は・・夕日を浴び、雄大な姿。 東名高速、上り。由比から蒲原にかけてみた富士山です。 ===== あれから2年経過した。 手術跡の経過がよくなく、術後12日目で逝去してしまった父。 そのままにしておくより、手術をしたほうが長く生きられる。その説明を聞き、自分は今死ぬ訳にはいかない。あと3年は生きるために受けた手術だった。 でも・・亡くなった日が3日だとピンと来ないのが本当。 1日に膿瘍を除去するオペをし、その時病院に出向いた私たちに、話す代わりに左手を挙げ、「ありがとう」の仕草をしたのが私が動く父を見た最後。 よく2日昼過ぎに脂汗をかき、付き添っていた弟に額の汗を拭いてくれと頼んで・・ その最中に動脈瘤が破裂してしまった。 だから・・・この時でもう意識はなくなっちゃった・・のかな。 でも、人は最後まで聴覚は残ると聞いたことがある。 それから3日の朝を迎えるまで・・父の耳は聞こえていたと信じたい自分がいます。 あの日から2年。 いろいろな事に納得いかず、このままでは終われなくて・・ 病院相手にしてるけど、今月中旬にやっと第1回目の裁判所での相手方の言い分を聞く日がくる。 少しずつだけど・・前に進めるのかな。 正直・・父が亡くなったその年は手術のこと、録音していた内容の分析・・など 力が入っていたが、最近力が抜けちゃっている状態。 でも、裁判って弁護士任せより、私たち残された遺族も勉強しておくことに越したことはないよね。 裁判所へも暫くは書面で各々の弁護士がやり取りするようだが、そのうち私も裁判所へ出向く回数が増えることになると聞いた。 できることから・・やるね。 なんたって・・父さんの口癖は「やればできる!」だったもんね。 やればできる。やらなきゃできない。 やってみるよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.05.04 22:04:07
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