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小渡樹(おどたつき)の部屋

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2011.06.30
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(※この文章は10数年前、仲間内で作っていた会報誌「えー小のマ-ス煮」に掲載されたものです。その時のタイトルは「手塚治虫の後継者になれなかった男、小室孝太郎の悲劇」。その後「漫パラ」というサイトに投稿したら、そこに掲載頂きました。掲載の数年後「漫パラ」は突然閉鎖されました。当時管理人にメ-ルを何度か送りましたが返事はありませんでした。月日は流れ・・・去年部屋を掃除していたら、原稿が出てきたので、このまま埋もれさせるのも残念な気がしたので、新たに加筆訂正の上、ここに発表します)

 前回紹介した「ドリ-ム仮面」作者・中本繁の場合、週刊連載向きでないために起きた悲劇だった。http://tokyo.cool.ne.jp/denno_ono/otacky.html
 だが、今回は違う。あの過酷な週刊少年ジャンプの連載で常に人気投票の上位をキ-プし続け、現在でも古くならない評価の高い作品を発表しながら、編集部の思惑により、漫画界の表舞台から消えていかざるをえなかった漫画家を紹介する。
 彼の名は小室孝太郎、手塚治虫のアシスタント出身で、69年に週刊少年ジャンプで代表作「ワ-スト」というSF漫画を連載していた漫画家である。彼の作品は、少年ジャンプとの確執(この件については後述)が背景にあるせいか、ほとんどが絶版で入手困難である。
代表作「ワースト」が朝日ソノラマで復刻されたとの情報を入手した私は、早速沖縄本島中部一帯の本屋をしらみつぶしに探し回り、目的のブツを入手、読みふけったのであった。

「ワースト」、今読むと時代設定や描写に古さを感じるものの、テ-マの斬新さや読者を引きつけるスト-リ-展開は今でも十分通用する名作である。
時は1960年代、地球全土で約1週間にわたり降り続いた雨。その雨に濡れた人々は苦しみ始め次々と死んでいく。その死体はワ-ストマンと呼ばれる化け物に変身し、生き残った人間に襲いかかる。人間たちも力を合わせて、ワ-ストマンに立ち向かうのだが、このワ-ストマン恐ろしく生命力が強い。刃物でぶった斬っても、銃で撃っても、爆弾でふっ飛ばしても、傷口はすぐ再生するわ、バラバラになった体は引っ付いて生き返るわ、定期的に体を分裂させて繁殖するわ、ワ-ストマンにかまれた人間はワ-ストマンになってしまうわ、燃やして灰にするしか息の根を止めるすべはない。さらにタチが悪いのが、こいつらは徐々にではあるが、知能が発達していくのである。
“そんなワ-ストマンに対して、なすすべはあるのか?人類”という内容なのだが、当時この作品を読んで衝撃だったのが2点。
まず1点目は主人公の死。この作品は3部構成になっていて、第1部の主人公エイジが次の主人公タクに希望を託して、ワ-ストマンを道連れに自爆するシ-ンは、小学生時代“主人公はどんな苦難や危機にあっても絶対に死なないもの”と思っていた私には衝撃だった。
続いて2点目は、物語に流れる一貫したメッセ-ジ“勉強して、知識を蓄えろ”。正体不明の敵ワ-ストマンに対し、生き残った人々の多くが子供たちで、最初の主人公エイジにしても少年院を出たばかりの元不良。そんな極限状況のためとはいえ、このメッセ-ジはドリフタ-ズの人気番組「8時だよ全員集合」エンディんぐにおける加藤茶のセリフ「ババンババンバンバン勉強しろよ」以上に私の心に響いた。もし、この時一念発起して勉学に勤しみ継続していたら、もっと違った人生を歩んでいただろうに・・・。つくづく自分の持続性のなさを思い知らされる。

第2部の主人公タクは、圧倒的優勢なワ-ストマンの脅威の前に、東京から南方の島への撤退を決意する。移動中、片腕・遠崎の死という悲劇をはさみ、島へ向かう船出で第2部終了。地球上での生き残りをかけた戦いは、第3部でタクの孫リキに引き継がれる。そして、読者の予想を裏切る結末。
この作品は古典SFの名作「トリフィドの日(映画化作品「人類SOS」)」をベ-スにしているが、単なる模倣に終わらず、それ以上の独自のもにしている点に作者の並々ならぬ力量を感じる。後のゾンビシリ-ズのヒットを考えると、時代を先取りした作品である。
72年の作品「ミステリオス」は後の「うしおととら」や「地獄先生ぬーベー」に先駆けた学園心霊漫画だった。続く73年の作品「アウタ-レック」はコンピュ-タ-に管理された独裁社会と、それに反旗を翻す人々を描いた意欲作だったし人気もあった。それなのにこのアウタ-レック、尻切れトンボのような納得行かないラストで突如終わってしまった。連載回数もわずか21回。アウタ-レック終了後、小室孝太郎は漫画界から一時姿を消す。子供心に納得のいかないものを抱えたまま5年後の78年、小室は突然週刊少年ジャンプに復活。「命(みこと)」を約2ヵ月半連載するが、連載終了後今度は完全に漫画の表舞台から姿を消した。連載回数わずか11回。内容的には、約10年後にヤングジャンプでの「孔雀王」のヒットを考えると、早すぎた作品だ。命(みこと)が連載されていた頃、私は高校生。漫画界の情報も入手しやすくなっていたので、業界の状況も徐々に分かり始めていた。私は思った。“小室孝太郎とジャンプ編集部との間にトラブルがあったのでは?”

洋泉社発行の「つっぱりアナ-キ-王」という本がある。これは小室孝太郎へのインタビュ-が掲載されているという点だけでも貴重な本である。それによると、アウタ-レック終了はやはり編集部とのトラブルだった。
人気投票はずっと上位をキ-プしていて、打ち切られるような要素はまったくない。なのになぜ?
それは、当時同誌連載の永井豪「マジンガ-Z」と川元コウ&梶原一騎「侍ジャイアンツ」が背景にあった。マジンガ-Zは人気投票の上位と下位を行ったり来たりしていたが、アニメ化が決定したため打ち切られずにすみ連載は続行となった。一方の侍ジャイアンツは人気投票は下位。しかし原作はあの天下の梶原一騎である。彼の強力なプッシュにより、この漫画もアニメ化が決定し、これもまた打ち切られずにすんだ。
そこで当時の編集部の方針としてSFは1本でいいとなり、アウタ-レック打ち切りとなった。
小室としては、この決定が面白いはずがない。ケンカに近い状態でジャンプを離れ、その後他誌で連載を試みるが、ジャンプの圧力により中々描かせてもらえなかったという。
彼もまた悪名高き少年ジャンプの専属契約制度の犠牲者だった。
私は、他に小室が切られた原因の一つとして、当時の出版業界にあったSF蔑視があると思う。70年代当時、SFはあれほど人気があったにも関わらず、活字の世界では低く見られていた。現在SF界の大御所とされる方々の当時について書かれた文章を読むと、時折苦渋に満ちた記述を発見する事がある。(一例として筒井康隆「大いなる助走」)ちなみに中学時代、私もSFが好きだと公言したら同級生・先生の一部・親からバッシングを受けた経験がある。
当時、活字の世界で最下層の立場にあったSF。活字からは低く見られていた漫画。そして、漫画業界内では打ち切られてもいい存在だったSF漫画。差別の多重構造だ。
だが、70~80年代にかけて、台頭する漫画に対し活字は押されぎみだった。そんな中、漫画としのぎを削りあった活字がSFだ。SFの影響を受けた漫画も多いし、その逆もあった。両者の間には交流があった。
小室孝太郎の名作「ワ-スト」もその交流の賜物の一つだろう。

小室だけではなく、もう一方の意見も取り上げたい。週刊少年ジャンプ3代目編集長西村繁男氏の著作に「まんが編集術」がある。その118ペ-ジに小室に関するコメントが掲載されている。紹介しよう。
「(小室さんは)手塚さんの後半のアシスタントから出てきた人です。だから絵はそれ以上に行かないんですけどね」
西村氏は、漫画界の歴史に残る週刊少年ジャンプの売上部数653万部という偉業を成し遂げ、ジャンプを業界NO1にした立役者である。
それほどの方と承知の上で私は反論させて頂く。
漫画家は、描き続けていれば、大なり小なり絵はうまくなっていくものである。
小室は、間違いなく漫画界の歴史に残る作品を次々と生み出す能力をもった漫画家だった。手塚漫画のキャラクタ-の愛らしい部分は、故・藤子F富士夫や鳥山明に受け継がれている。小室は手塚のスト-リ-テラ-の部分を受け継ぐ資質を持った貴重な漫画家だった。
歴史にIFは禁物というが、もしあんな形で連載を打ち切られなかったら?他誌でも活躍出来ていたら?もし小学館移籍できたら?あるいは壁村編集長の頃の週刊少年チャンピオンに移籍していたら?もしあの悪名高き専属契約制度がなかったら・・・?
運も才能の内と言われるが、小室を襲ったものが不慮の事故や病や災害という不可抗力ではなく、編集部の方針という点に私は納得のいかないものを感じる。当時の編集部に度量があれば・・・。

小室孝太郎は週刊少年ジャンプに最後の連載「命(みこと)」を連載した後、活躍の場を宗教漫画や歴史漫画に移し、漫画の表舞台からは遠ざかっている。新作の構想は今でも持っていて、チャンスがあれば描きたいという(「つっぱりアナ-キ-王」のインタビュ-より)。どこか奇特な出版社があれば、やってくれないだろうか。
小室孝太郎、21世紀になった今だからこそ、再評価されるべき漫画家である。

参考文献:「ワ-スト」(朝日ソノラマ)「つっぱりアナ-キ-王」(洋泉社)「まんが編集術」(白夜書房)「大いなる助走」(新潮文庫)





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Last updated  2011.06.30 16:13:24
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