昭和恋々(れんれん)
古い自転車や、屋根瓦の輝きや、割烹着(かっぽうぎ)の白さにブリキの玩具の懐かしさ・・・そうした全ての物たちの佇まいとおなじくらい、そこに生きてきた人々のつよい気持ちと、貧しいけれど力に溢れた目の色を、写真から読み取ろうと思った。たぶん私たちは、昭和のあのころに、何か大きな忘れ物をしてきたような気がしてならない。もしかしたら、それは途方もなく大きな忘れ物だったのかもしれない。<文化>なのか、<教育>なのか、あるいは<精神>とか<魂>というものなのか・・・それはよくわからない。けれど、いまはない、<何か>が、この写真の中には確かに写っているのだ。それは、ほんの取るに足らないものかもしれない。たとえば・・・私たちは、あの日のように雨や風の音を聴くことが、いまあるのだろうか。このごろみたいに、夜は明るくていいのだろうか。春を待つという、懸命で可憐な気持ちを、今どれほどの人が知っているのだろうか。・・・あの頃を想うと心が和むが、いまに還ると胸が痛む。「昭和恋々」前書きより:久世光彦・・・・・・・・・・・・・・・・先日、図書館に行ったら、久世光彦の本、「マイ.ラスト・ソング」が目の前にあった。久世光彦は、多くのテレビ番組を残したが、私の好きだったのは、古きよき時代を描いたもの。その時代には、戦争があって、おもわず、目をそむけたくなるようなこともあった。戦争は嫌だと思う。でも、それがなければ、久世光彦のえがく、戦前、戦中の庶民の暮らしは、慎ましく、私たちがとっくに無くしたものばかりだ。その久世光彦も今年、亡くなった。昭和がどんどん遠くなっていく。昭和のあのころに、何か大きな忘れ物をしてきたような気がしてならない。もしかしたら、それは途方もなく大きな忘れ物だったのかもしれない。+++たとえば・・・私たちは、あの日のように雨や風の音を聴くことが、いまあるのだろうか。このごろみたいに、夜は明るくていいのだろうか。春を待つという、懸命で可憐な気持ちを、今どれほどの人が知っているのだろうか。そんな思いから、「昭和恋々(れんれん)」というカテゴリーを作ることにした。タイトルは<恋々>でも単なる懐古に流されないように心したつもりである。来年もどうよろしくお願いしますm(_ _)m ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月31日*民具:もろぶた1.2/松迎え* UP・・・・・・・・・・・・・