スコットランド民謡「マイ・ボニー」とあのフローラのダンヴェガン城
■7月30日(土)ダンヴェガン城に行った。雨が降っていたので、出っ張った部分で、レインコートを置いて入った。スカイ島を支配した三つのクランのひとつ、Macleod家が800年近くに渡って居城にしていたのがここDanvegan城。 額に入れられたぼろぼろの布が飾られており、これは4~7世紀頃に作られた「フェアリー・フラッグ」という伝説の旗で、これをかざして戦うと勝利をもたらすといういわくつきのお宝だ。 この一族のために妖精からもたらされたものだという。ケルト文化の薫り高いスカイ島によく似合う言い伝えではないか。「フェアリー・フラッグ」はボロボロであったが大切に飾られていた。城内ガイド氏の英語の半分しか分からない。(ノД‘)かの■スコットランド版関ケ原の戦い、カロードンの戦い■において敗れた、美貌の王子、ボニー・プリンス・チャーリーは、女装してスカイ島まで逃げた。それを手引きしたのが、スカイ島生まれのフローラ。スカイ島からフランスへ渡る時、王子はフローラにその巻き毛を贈り、必ず帰ると言ったという言い伝えがある。その巻き毛は見つけることが出来なかった。そこで私は、「?」と思っていた。そして、帰って調べると、やはりそうだった。往年のヒット曲、「マイ・ボニー」という曲があるがそれは、このボニー・プリンス・チャーリーが行ってしまった悲しみのフローラの歌だった!!原曲はスコットランド民謡だそうでが日本では「恋人は海の彼方に」という名前で売り出されていた。(一番下に私の記憶する歌詞あり。)(▲今は使われていないが、ここからボート乗り場へと通じていた。)『マイボニー My Bonnie Lies over the Ocean』は、1962年にリリースされたトニー・シェリダン(Tony Sheridan)のアルバム『マイボニー』で現代風にアレンジされ、世界的に有名になったスコットランド民謡。トニー・シェリダンのアルバムでバックバンドを務めたのは、世界中で最も有名なイギリスのロックバンド「ビートルズ(The Beatles)」。当時は「ビートブラザーズ」として参加していた。 ボニーとは一体誰の事なのか? 歴史上の著名な人物であるチャールズ・スチュワート(Charles Edward Stuart/1720-1788)を暗示しているようだ。チャールズ・スチュワートは、名誉革命で王位を追われたジェームズ2世の孫に当たり、ボニー・プリンス・チャーリー (Bonnie Prince Charlie)の愛称で呼ばれていた人物。■フローラの像■■My Bonnie■(まだ無名の若き日のビートルズが!)歌詞・日本語訳(意訳)My Bonnie is over the oceanMy Bonnie is over the seaMy Bonnie is over the oceanO bring back my Bonnie to me.ボニーは海洋に ボニーは海にボニーは海洋に ボニーを返しておくれChorus Bring back, bring back Bring back my Bonnie to me, to me Bring back, bring back O bring back my Bonnie to me.<コーラス>返して 返してくれ ボニーを返しておくれ返して 返してくれ ボニーを返しておくれ■「恋人は海の彼方に」■♪音が出ます!青い海の向こう白い波間からやさしい恋人を帰しておくれカム バック、カム バックおお、海の神様(◀庭園も美しい)中学生時代に流行ったのでよく歌っていた「恋人は海の彼方に」。当時は、海兵隊の彼を思う歌だと思っていたが、50年以上たって歌のもつ本当の意味が分かった。7/29(金)★Redwood House Hotel & Restaurant ■スカイ島■7/30(土) Redwood House Greshomish IV51 9PN イギリス 44-1470-582203・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・