上方落語の定席:天満繁盛亭
■天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)は、■大阪府大阪市北区天神橋二丁目にある寄席。上方落語の定席の一つで、落語を中心に、漫才、俗曲などの色物芸の興行が連日執り行われている。通称「繁昌亭」。 繁昌亭は、2003年に上方落語協会会長に就任した桂三枝(後の6代桂文枝)が、天神橋筋商店街で落語会を行える空き店舗の提供を商店街側に依頼したことに始まる。商店街はこの提案を大阪天満宮に持ち込み、上方落語協会も交えて話し合いを重ねた結果、天満宮用地に落語専門の定席を新設することで合意。用地は大阪天満宮の寺井種伯宮司の厚意により、無料で提供された。1957年に戎橋松竹が閉場して以来、半世紀ぶりに大阪に寄席が復活することになった。 座席は1、2階の216席。昼席の開場時には、若手の落語家が太鼓で一番太鼓(開場を告げる太鼓)を打つ。劇場内外の天井には、募金をした人々の名前や団体約4,500件分の名前の書かれた提灯が並べられている。 上方落語隆盛の時代の象徴として語り継がれている「赤い人力車」が復活した。この人力車は、初代桂春團治が多忙のために移動の手段として使用したとされるものを復元しており、多額の借金による「火の車」の洒落になっている。 春団治の奇行は有名だが、他の芸人も破天荒だったようだ。 吉本興行の舞台でのこと。真打の松鶴が舞台に上がったが、十八番(おはこ)の話「天王寺詣り」をやらない。客は怒って総立ちになっている。 客の一人の機転でやっと事なきを得たが、松鶴は、十八番の「天王寺詣り」を二千円で質に入れたのだった。質入れ中は絶対に語れないのが、この世界の掟だそうだ。 俳優の東出昌大は■『ごちそうさん』■では、慣れない大阪弁での演技に備え、撮影開始1か月前に大阪市へ引っ越し、天満天神繁昌亭や近くの喫茶店でアルバイトしたり、上方落語を聴くなどして役作りに務めた。繁盛亭のある場所は、もともとは、天満の天神さんの敷地だった所。天満宮旧敷地という石灯篭がある。■もともと江戸時代の天満宮境内では、■歌舞伎や人形浄瑠璃などあらゆる芸能が上演されていたという記録もあり、明治時代の天満周辺には「天満八軒」といって8軒程の寄席があった。”芸どころ”として、歴史的にもゆかりのある土地だった。■NHK朝ドラ:わろてんか■は、吉本興行の吉本せいがモデルで、吉本の寄席もここにあった。吉本せいを描いた山崎豊子の「花のれん」に、天満の寄席を見つけた時の文章がある。***「旦那(だん)はん、おました、ええのおましたわ、御寮人(ごりょうん)さんのいいはるとおり風呂屋にでもしたろかいうような寄席見つかりましてん」「どこや」「天神橋筋をちょっと入ったとこの、ちょうど天満の天神さんの裏でんねん。」***●■天満の天神さん■とセットで行く、大阪名所だと思う。●広島出身という若手落語家の言葉が見事に関西弁だった。 ■天満天神繁盛亭■〒530-0041大阪市北区天神橋2丁目1番8号地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」下車4番出口JR東西線「大阪天満宮駅」下車3番出口・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・