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2017.07.13
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カテゴリ:八百八橋散歩
  天神橋の南詰から土佐堀川を流れに沿って下っていたら、川を見つけた!!

「東横堀川」だ。

東横堀川の最初の橋、■葭屋橋(よしやばし)■の次が
「今橋」。

そして「高麗橋(こうらいばし)」と続く。

高麗橋(こうらいばし):東横堀川

高麗橋は、大阪城の外堀として開削された東横堀川に架かる橋で、 
慶長9年(1604)には擬宝珠(ぎぼし)をもつ立派な橋となっていた。
高麗橋という橋の名の由来には諸説あるが、古代・朝鮮半島からの使節を迎えるために作られた迎賓館の名前に由来するというものと、豊臣秀吉の時代、朝鮮との通商の中心地であったことに由来するというものが主なものである。

高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び、人々の往来が絶えなかった。
そして橋の西詰には幕府の高札が立てられていた。

江戸時代に交通の要所など重要地点に架けられ、幕府が直接管理する橋を公儀橋と呼んだが、この高麗橋は公儀橋の中でも特に重要視されていた。

明治時代には里程元標がおかれ、西日本の主要道路の距離計算はここを起点として決められた。

明治3年(1870)にイギリスより輸入された鉄橋に架け替えられ、「くろがね橋」とよばれていた。
現在の橋は昭和4(1929)年に架けられた鉄筋コンクリート製のアーチ橋である。
欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷を模した親柱が、橋の歴史を物語っている。


しかし明治以後、東海道本線の大阪駅が梅田にできてからは商業の中心を梅田付近に奪われて往時の面影は失われ、現在の高麗橋は立ち並ぶ地味なビルの谷間に埋没した格好である。


また現在は橋の真上に阪神高速1号環状線が覆いかぶさり、橋全体に暗い影を落としている。


(▲「かうらいはし」となっている。)

橋長:62.54m
幅員:11.00m
形式:アーチ橋
完成:昭和4(1929)年
行政区:中央区
河川名:東横堀川
アクセス:大阪市営地下鉄堺筋線・京阪本線 北浜駅 
      30番出口 およそ250m 徒歩4分
      大阪市営バス「天神橋」
高麗橋の東詰めにの北隣には、階段がある。
昔、船が行き来していた頃には、ここから荷揚げなどがなされていたのかもしれない。

階段の隣の家は骨董店だった。

昔の郵便受け。

その隣も、古い数字「62」が扉にあったが番地だろうか?

高麗橋は、有名な橋だが、少し前までは、見たこともなかったし、どこにあるかさえ知らなかった。
「みをつくし料理帖」の主人公、澪には、幼い頃の親友がいる。
親友の名は、野江といい家は高麗橋・淡路屋のこいさん(末娘)だったという設定。   
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Last updated  2017.07.13 18:40:15
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