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2017.12.15
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カテゴリ:八百八橋散歩
あきない世傳金と銀(3)■を読んでいたら、主人公が芝居を見に、天満から歩いて道頓堀まで行くシーンがあった。
当時の賑やかさが伝わるシーンだ。
道頓堀は、今も昔も賑わっていたのだなと思った。

以下、そのシーンを書き写した。
紫色が通った道筋。

長い長い■天神橋■を渡り、広い筋をそのまま南へ南へ下る。

住吉屋町に差しかかったところで

東横堀川沿いへ出て、安堂寺橋、末吉橋を右手に眺め、さらに南へと歩みを進める。
川の南端まで行けば、そこから西へと伸びるのが■道頓堀川■であった。
「まあ・・・」
上大和橋(かみやまとばし)の辺りで、幸(さち)は足を止めて周囲を眺める。
道頓堀川には幾艘もの船が浮かび、川端に軒を連ねた茶屋へと棹を寄せている。
川の南側、立慶町や吉左衛門町の通りに並ぶ芝居小屋からは、離れていてさえ、三味の音や呼び込みの声、芝居小屋の殷賑が耳に届いた。
その賑わいに誘われるように、着飾った老若男女が道を急ぐ。
 手前の幅広の■日本橋■は紀州街道へ繋がるからか、晴れ着姿の町娘に混じって、綱で繋がれた牛や馬ものんびりと歩いていた。
天満で暮らすようになって九年、生まれて初めて目にする道頓堀の情景であった。
目を見張る幸に、こっちだすで、と富久が背後から呼んでいる。
「川の南はえらいひとで、歩くにも難儀しますよってにな。
宗右衛門町の方から行きますで」
富久がそう言うと、幸の返事を待たずに上大和橋を急ぎ足で渡っていった。

太座衛門橋■で川南に渡れば、

角には「角の芝居」の幟を立てた芝居小屋、
雑踏に紛れて西に進めば、今度は「中の芝居」の幟。
その先、戎橋に近いところに「筑後屋」があった。

(略)小走りで戎橋を渡り始めた富久を、何が起きたかわからぬまま、幸は追った。
人波を外れ、宗右衛門町の小路まで戻ったところで、富久は膝を抱えるように蹲る。(以上「あきない世傳金と銀3」より)


「悪所(あくしょ)」という言葉がある。
江戸時代、芝居と廓(くるわ)は、ある一定の場所でのみ公許され、これを悪所と呼んだ。
大坂での悪所のひとつ、芝居は、道頓堀に集められ芝居町を形づくることとなる。

この、劇場から道路ひとつ隔てた川に直面した一帯に、往時、芝居茶屋が櫛比(しっぴ)していたのである。
芝居茶屋は芝居町を構成する重要な役割を担っていた。
たとえば、角座の桟敷(特等指定席)で観劇しようとすると、その席の権利を持つ特定の芝居茶屋に予約することになる。
もっとも、芝居茶屋では興行の替わるたびに辻番付(次興行の宣伝チラシ)を贔屓(ひいき)客に届けて予約をうけてしまうほうが多かったらしい。
下駄 戎橋を渡って少し行ったところで、五鈴屋の「お家(え)さん」が、蹲って動けなくなった。
そこへ、かつての、長男の嫁が通りかかり、気分がよくなるまでと馴染みの茶屋で待たしてもらうことにしたという話の流れがある。

「あきない世傳金と銀(5)」は年明けに発売されるというので楽しみだ。
道頓堀川
   
「あきない世傳金と銀(一)」■■「あきない世傳金と銀(二)」■■「あきない世傳金と銀(三)」■■「あきない世傳金と銀(四)」
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Last updated  2017.12.15 00:19:26
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