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2018.01.17
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カテゴリ:八百八橋散歩

大正橋■東詰に、江戸時代に起こった地震の碑文がある。

この石碑は、前日の安政東海地震に続いて発生した安政南海地震(1854年12月24日)による被災後、安政2年(1855年)7月に建立された。

石碑文の要約

安政南海地震では、地震を感じて家の一部が損壊し、人々は家の下敷きになるのを恐れて、船に乗って難を逃れようとしたが、地震の2時間後、津波が襲ってきて、船は転覆し、橋は落ち、地震で人は死ななかったが、津波で350人が死んだ。
今から148年前の宝永4年(1707年)にも同じような地震があった時も船に避難して、大勢の人が死んだことがあった。
我々はこの先祖の言い伝えを生かせなかったので悔しい思いをしている。
そこで子孫に申し伝える。
将来も同じような地震が来るのであろうが、決して船で逃げようと思うな。
この石碑の文字がいつも読めるように毎年この石碑の文字に墨を入れよ。
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「ぢしんほうぼうゆり状の事」安政二年
(大阪歴史博物館蔵)
奉公人請状という雇用契約書の形式を借りて作られた鯰絵です。
これから雇われようとしている鯰の「ゆり助」の身元を、
「ぶるぶるやこわ衛門」らが、
「大坂町屋敷大つなみ打寄場」に住む「橋々屋おち衛門」という雇い主に保証するという趣向になっています。
ユーモラスなネーミングの背景には、大坂での安政南海地震の被害の実態があったのです。
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大地震両川口津浪記
●「大地震の節は津波起こらんことを兼ねて心得、必ず船に乗るべからず。」 
安政南海地震津波による大坂市中での死者の大部分が地震の揺れを恐れ、堀川の小船に逃れた人々であった。
津波が安治川・木津川両川口へ押し寄せ、大型の廻船を軽々と市中の堀川に押し上げ、小船を押しつぶし、多くの人々を溺死させたのであった。

江戸時代、大阪では大火が頻繁に発生し、人々は家財道具を川船に積み込んで、堀川に逃れることを常としていた。
道路が狭く堀川が避難場所として利用されていたのである。
宝永・安政の両地震の際にも、地震の激しい揺れを恐れ、多くの人々が船で堀川に避難し、その後、津波が襲い、船に乗っていた人々のほとんどが溺死したのであった。
地震の揺れを恐れて、津波が襲うかもしれないという考えは浮かばなかったのである。

安政二年(1855)の建碑から156 年経った現在(2011)、
木津川の風景は大きく変化し、住民も入れ替わったが、
石碑は地域の人々によって大切に守られている。
毎年、8 月の地蔵盆には、津波碑を洗い、文字が読みやすいように「墨入れ」を行い、地域の人々が集まって供養が行われている。
建立の精神が世代を越えて受け継がれているのである。


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Last updated  2018.01.17 00:13:06
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