テーマ:読書(8621)
カテゴリ:詩歌・名文
●「願わくは 花の下(もと)にて 春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ」 西行法師 ■歌というものは時として、■「いかに詠んだか」よりも「だれが詠んだか」の方が重要になる。 『願わくば桜の下で死にたい。 花咲き初める二月の満月の桜の木の下で』。 桜と満月の取り合わせに、今の人は理想的な美の風景を思うかもしれない。 しかし、伝統的な和歌でこれらを合わせて詠むことはない。 過剰なのだ! 盆と正月、寿司とステーキ、山盛りの宝石!! 今日の歌は優雅を遥かに超えて下品なのである。 しかしこれが許される場合がある、詠み人だ。 まあご存知だとは思うが西行である。 西行は花と月という色の極みを求めて仏の道を歩んだ、支離滅裂、むちゃくちゃである。 その人だからこそ成り立つ一首、稀代の作品だ。 今日今宵はまさに如月(旧暦二月)の望月、隈なき月下の桜に出会えたら、彼の狂気を一寸感じられるかもしれない。 ●「われ死なば 焼くな埋めるな 野に捨てて 飢えたる犬の 腹を肥やせよ」(歌川広重) ●「生き過ぎて 七十五年 くいつぶし 限り知られぬ 天地(あめつち)の恩」(大田南畝) ●「この世をば どりゃお暇(いとま)を せん香の 煙とともに 灰さようなら」(十返舎一九) ●石の上3年たったら次の石 「昭和よ、」より 昔の人の死生観を詠んだ歌。 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを 古今集 在原業平(ありわらのなりひら) にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.03.24 00:02:00
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