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2021.02.01
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テーマ:短歌(1697)
カテゴリ:詩歌・名文
牛飼(うしかひ)が歌よむ時に世の中の新(あらた)しき歌大いに起る   伊藤佐千夫

遺歌集『佐千夫歌集』(大九)の有名な歌。
子規門に入った明治三十三年の作とされているが、実際はそれ以前の旧派時代の作かともいう。
東京本所で牛乳しぼり業デポン舎を営んだので「牛飼」と自称したのだ。
「あらたしき」は「新」を万葉風に言った。
牛飼たる佐千夫が歌をよむ時、上流人士の風雅と教養の道具化して久しい和歌にも、再び新しい血が通い、新風が大いにまきおこるのだという自負と決意を歌う。 
朝日新聞・「折々のうた」大岡信著

 26歳のときに現在の錦糸町駅前に牛舎を建て、乳牛を飼育して牛乳の製造販売を始めたという伊藤佐千夫。
吉幾三のコミックソングに「俺ら東京さ行ぐだ」というのがある。

俺らこんな村いやだ
俺らこんな村いやだ
東京へ出だ  東京へ出だなら
銭コア貯めで 東京で牛(ベコ)飼うだ


この歌はコミックソングだけれど、
明治20年代の東京では、べこ(牛)を飼うことが出来たのだとビックリ!!
■折々のうた■
過ぎてゆく四季の折々に自然の輝きをとらえ、愛する人を想いながら、人びとはその心を凝縮された表現にこめてうたい続けてきた。
「日本詩歌の常識づくり」を目ざす著者は、俳句・短歌から漢詩・現代詩に至るまで、日本人の心のふるさとともいうべき言葉の宝庫から秀作を選び、その豊かな光沢と香りを鑑賞する。
朝日新聞連載一年分に加筆。
伊藤 佐千夫

伊藤 左千夫(いとう さちお、1864年9月18日(元治元年8月18日) - 1913年(大正2年)7月30日)は明治期の歌人、小説家。本名 幸次郎。
上総国武射郡殿台村(現在の千葉県山武市殿台)の農家出身。
農家の生まれであるが漢詩や漢文を学び、論争好きで政治家を志したこともあるなど、バイタリティのある性格であった。
1881年(明治14年)4月明治法律学校(現・明治大学)に入学するも眼病を患い、同年12月に中退。
牧場で毎日早朝から深夜まで働き、数年で独立。
26歳のときに現在の錦糸町駅前に牛舎を建て、乳牛を飼育して牛乳の製造販売を始めた。
仕事が軌道に乗ってからは和歌や茶道を学ぶなど、趣味人として交際の範囲を広げた。
1898年(明治31年)に新聞『日本』に「非新自讃歌論」を発表し(当時の号は春園)、御歌所の歌人・小出粲の歌を批判したことから紙面上で論争を繰り広げた。
同年「日本」に掲載された正岡子規の『歌よみに与ふる書』を読んで感化され、1900年(明治33年)に子規庵を訪れて会話を交わしてからは三歳年下である子規の信奉者となり、毎月の歌会に参加して子規に師事するようになった。
「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」(『伊藤左千夫歌集』)と詠み、身分や出自によらず誰もが自由に詠める世となることで新しい短歌が生まれるという、子規の精神を込めた一首が代表作となった。
 また、1905年(明治38年)には、子規の写生文の影響を受けた小説「野菊の墓」を『ホトトギス』に発表。
夏目漱石に評価される。
茶道  左千夫は茶道にも通じており、子規から「茶博士」と呼ばれたほどで、左千夫の自宅を「無一塵庵」と名付けた。

うし年ですから:なで牛
1月5日は「牛日(ぎゅうじつ)」
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Last updated  2021.02.01 00:02:23
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