テーマ:■大阪探検■(691)
カテゴリ:八百八橋散歩
★心斎橋 - 心斎橋筋 心斎橋は元々長堀川に架かっていた橋の名前である。 1622年(元和8年)に長堀川の開削と同時に架けられたというのが有力な説であり、「心斎系譜」によると長堀川を開削した4名のうちの1人、岡田心斎が長堀川の両岸を町域とした長堀心斎町の往来の便のため、南北に橋を架けたことが名前の由来になっている。 当時の心斎橋は、長さ18間(約35m)、幅2間半(約4m)の木橋だった。 人通りの多い地域にあった木橋で傷みやすく、洪水や火災の被害も受けるなど維持管理に多くの資金が費やされたという。 その後、1873年(明治6年)に本木昌造の設計によって鉄橋に生まれ変わる。 ドイツ製で、大阪で2番目、日本で5番目の鉄橋だった。 当時の人にとって鉄橋は非常に珍しく、大阪の人の間で話題となり、錦絵にも描かれた。 この鉄橋は鶴見緑地公園の緑地西橋として現存する。 1908年(明治41年)に心斎橋としての役割を終え撤去された後、境川運河の境川橋、1928年(昭和3年)に大和田川の新千船橋(大阪市西淀川区)と移設を重ね、1973年(昭和48年)に鶴見緑地にすずかけ橋として保存され、1989年に現在地に移ったもの。 日本現存最古の鉄橋と言われている。 1909年(明治42年)には野口孫市の設計によって石造橋に架け替えられ、壮大な渡り初めが行われた。 愛媛県今治市沖の大島産の花崗岩が用いられた。 また心斎橋と佐野屋橋との間には石屋が立ち並び、摂津の御影石、播磨の立山石、泉州の和泉石、京都の白川石、紀伊の大崎石、近江の木戸石など、全国各地の名石が集積し、名工たちの手によって鳥居や橋、灯篭、手水鉢、道標、石仏、石臼など様々な商品に姿を変えていきました。 ただの石が彫刻されて姿形を変えていく有様は、まるで魔法のような光景で浪花名所として非常に有名でした。 その石浜を模したモニュメントがクリスタ長堀東端にあります。 ▲この石の橋も石浜の石を使ったのだろうか?▼ ▲船場側の商店街のアーケード。▼ ▲何の模様だろう?▼ ▲街灯▼ (▲水色の横のラインが長堀川のあったところ) 長堀川(ながほりがわ)は、かつて大阪府大阪市にあった運河。 長堀川は江戸時代初期の元和8年に完成したと伝えられている。 沿岸にはさまざまな産業が立地し、長堀川は輸送の大動脈であった。 埋め立て後は長堀通の一部区間となっている。 東横堀川の末吉橋下流より分流し、西に向かって流れて木津川の伯楽橋下流に注いでいた。 長堀川は、船場と島之内の境界をなしていた。 上流から(右=東)から ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ★■■安綿橋 - 交差点名は「末吉橋西詰」 (長堀川可動堰) ■2.板屋橋■ ■3.長堀橋(公儀橋)■ ■4藤中橋■ ■5中橋■ ■6三休橋■ ●心斎橋 - 心斎橋筋 ●新橋 - 御堂筋 ●佐野屋橋 ●炭屋橋 (以降、通称西長堀川) ●吉野屋橋 ●西長堀橋 - 四つ橋筋。交差点名は「四ツ橋」 ●宇和島橋 ●西大橋 - なにわ筋 ●富田屋橋 ●問屋橋 ●白髪橋 - あみだ池筋 ●新鰹座橋 - 新なにわ筋。交差点名は「鰹座橋」 ●鰹座橋 ●玉造橋 ●洲崎橋 (埋め立てられたおもな堀川) 1.天満堀川 2.長堀川 3.高津入堀川 4.難波新川 5.西横堀川 6.江戸堀川 7.京町堀川 8.海部堀川 9.阿波(座)堀川 10.立売堀川 11.薩摩堀川 12.堀江川 13.いたち川 14.十三間川 15.曽根崎川 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.11.08 00:03:51
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