テーマ:■大阪探検■(691)
カテゴリ:八百八橋散歩
★新橋 - 御堂筋 大阪市第1次都市計画事業における御堂筋の拡幅・新設に伴って1934年(昭和9年)に架橋された。 1径間のラーメン式鋼鈑桁橋で、橋長は約28.0m、幅員は約43.6m(24間)。 右岸(北岸)の橋台が大きく川へ張り出していた。 拡幅以前の御堂筋は幅員約6m(3.3間)ほどの狭い道路で、長堀川には架橋されていなかった。 なお、御堂筋自体が現在の淡路町3交差点で屈折しており、淡路町通以北は淀屋橋筋と名称も異なっていた。 長堀川右岸(北岸)の末吉橋通を走っていた大阪市電東西線も橋のない拡幅以前の御堂筋には駅を設置せず、一筋東の心斎橋北詰に心斎橋駅(大阪市電)、一筋西の佐野屋橋北詰に佐野屋橋駅を設置していた。 御堂筋の地下を走る地下鉄一号線開通にあわせて新橋の地下に駅が設置されることとなったが、駅名は知名度の高い心斎橋から採られることとなった(現在の地下鉄心斎橋駅)。 1964年(昭和39年)に長堀川の上流部が埋め立てられた際に新橋も撤去され、わずか30年の短命に終わった。 ▲鰻谷の名称は、御堂筋にもあった。 ▲春の緑のイチョウ並木、秋の黄色いイチョウ並木は御堂筋の名物だが、工事をしている。 イチョウの根が見えているとこともあったが心配だ。▼ (▲水色の横のラインが長堀川のあったところ) 長堀川(ながほりがわ)は、かつて大阪府大阪市にあった運河。 長堀川は江戸時代初期の元和8年に完成したと伝えられている。 沿岸にはさまざまな産業が立地し、長堀川は輸送の大動脈であった。 埋め立て後は長堀通の一部区間となっている。 東横堀川の末吉橋下流より分流し、西に向かって流れて木津川の伯楽橋下流に注いでいた。 長堀川は、船場と島之内の境界をなしていた。 上流から(右=東)から ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ★■■安綿橋 - 交差点名は「末吉橋西詰」 (長堀川可動堰) ■2.板屋橋■ ■3.長堀橋(公儀橋)■ ■4藤中橋■ ■5中橋■ ■6三休橋■ ■7心斎橋■ ●8新橋 - 御堂筋 ●佐野屋橋 ●炭屋橋 (以降、通称西長堀川) ●吉野屋橋 ●西長堀橋 - 四つ橋筋。交差点名は「四ツ橋」 ●宇和島橋 ●西大橋 - なにわ筋 ●富田屋橋 ●問屋橋 ●白髪橋 - あみだ池筋 ●新鰹座橋 - 新なにわ筋。交差点名は「鰹座橋」 ●鰹座橋 ●玉造橋 ●洲崎橋 (埋め立てられたおもな堀川) 1.天満堀川 2.長堀川 3.高津入堀川 4.難波新川 5.西横堀川 6.江戸堀川 7.京町堀川 8.海部堀川 9.阿波(座)堀川 10.立売堀川 11.薩摩堀川 12.堀江川 13.いたち川 14.十三間川 15.曽根崎川 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.11.13 00:01:17
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