テーマ:■大阪探検■(691)
カテゴリ:八百八橋散歩
佐野屋橋は、一説によると幕末の豪商佐野屋弥平が架けたといわれる。 (場所は御堂筋の隣の筋) しかし明暦3年(1657)刊の地図「新板大坂之図」にすでに同名の橋が見え、元禄年間(1688~1704)の記録によれば、橋長17間半7寸5分(約32メートル)、幅員1間半2寸5分(約2.8メートル)の木橋であった。 江戸時代、佐野屋橋の周辺には石屋が密集し、各地の名石や石灯籠・石鳥居・石臼までが山積みされ、石屋浜と呼ばれていた。 また西には大坂屋銅吹所があり、大坂屋の浜と呼ばれて長堀川東端の住友銅吹所とともに銅生産が盛んであった。 第二次世界大戦後に架け替えられた佐野屋橋は、三径間のゲルバー式格子合成桁橋であったが、長堀川の埋立てと同時に、昭和39年に撤去された。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ (▲水色の横のラインが長堀川のあったところ) 長堀川(ながほりがわ)は、かつて大阪府大阪市にあった運河。 埋め立て後は長堀通の一部区間となっている。 東横堀川の末吉橋下流より分流し、西に向かって流れて木津川の伯楽橋下流に注いでいた。 長堀川は、船場と島之内の境界をなしていた。 上流から(右=東)から ★■■安綿橋 - 交差点名は「末吉橋西詰」 (長堀川可動堰) ■2.板屋橋■ ■3.長堀橋(公儀橋)■ ■4藤中橋■ ■5中橋■ ■6三休橋■ ■7心斎橋■ ■8新橋■ ●佐野屋橋 ●炭屋橋(四橋) (以降、通称西長堀川) ●吉野屋橋(四橋) (●西長堀橋 - 四つ橋筋。交差点名は「四ツ橋」) ●宇和島橋 ●西大橋 - なにわ筋 ●富田屋橋 ●問屋橋 ●白髪橋 - あみだ池筋 ●新鰹座橋 - 新なにわ筋。交差点名は「鰹座橋」 ●鰹座橋 ●玉造橋 ●洲崎橋 (埋め立てられたおもな堀川) 1.天満堀川 2.長堀川 3.高津入堀川 4.難波新川 5.西横堀川 6.江戸堀川 7.京町堀川 8.海部堀川 9.阿波(座)堀川 10.立売堀川 11.薩摩堀川 12.堀江川 13.いたち川 14.十三間川 15.曽根崎川 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.08 00:30:35
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