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カテゴリ:主婦としての私
(その2)で引用させていただいたふうこさんから
コメントをいただきました。 >Maylinさん、まさに家庭の数だけ「我が家流」があるのですよね~。 >それにしても、Maylinさんのご主人はMaylinさんのために存在しているかのような・・・ はい。この結婚は、私の必要性のほうが強いですね。 他の人と結婚してたら、とっくに離婚!だったかも。 ダンナは、他のタイプの奥さんでもOKだったでしょうけどねー。 実際、「何でこの奥さんなんだろう?」とたまに不思議そうに私を見たり^^; 「何でもっと普通の奥さんもらわなかったの?」と息子に訊かれて弱ったりしています。 好きなタイプか、と言えば、お互いに、そうでもないんですよね。実は。(爆) でも、出会った時に、「魂が喜んでいる」という感じがあったし、 その直感は、間違ってなかった、と思います。 独身の頃から、ライフワークを求め続けていたし、 「私は私の人生を歩むんだ」と、心に決めていたので、 そういう私の「人生のパートナーはこの人!」と確信しての結婚でした。 それでも、結婚してからの道のりは、甘くなかった。 世間の常識を振り払い、わが道を貫いて歩むには、 自分の心の葛藤の整理にものすごく時間がかかったし、 ダンナとの心理戦やバトルもくぐってきました。 「その人の存在理由だから」という言葉に心で泣いたのも、 「苦節10年、ここまで来たかー」、という思いがあったからです。 (うるうる) もちろん、ダンナはダンナで、葛藤があったと思いますよ。 在星3年目に、音楽同好会が立ち上がってからというもの、 週末と言えば2歳半の子どもを押し付けて出かけてばかりいたので、 「こんな奴隷生活イヤ!」って言ってましたもん。 それでも、できちゃった結婚+いきなり海外で慣れない家事と育児で、 「私の人生どうなるんだろう?」と不安でいっぱいだった生活から一転、 仲間を得て、どんどん思いが実現していくのは最高に面白かったし、 「この経験は私の人生の大事なステップボード」と思っていたので、 何と言われようが構ってられない。ぜ~ったいに、譲らなかった。 活動の実績ができてきて、人に喜ばれているのがわかり、 長い間かかって、ダンナも悟ってきたのかなぁ?と思います。 「これがこの人の存在理由」とね。 何しろ常識はずれなこと甚だしい奥さんなので、 私という人間まるごとを受け止めるのは、結構タイヘンだったでしょう。 でも、お互いに、こんな人もうイヤ!とは、投げ出さなかったし、 そこが、「人生のパートナー」たるゆえんですよね。 結婚14年の今、こうして文章にまとめてみて、思うのは、 結局のところ、私は、芸術(音楽)に導かれてきたんだな~、ということです。 音楽では、技術的な完璧さとか形を整えることに走りがちな人もいるんですが、 そんなん芸術と言えん、と、私は固く信じているところがあって、 そこに何を盛り込むかが問題、と、思い続けているんですね。 それは、喜怒哀楽や、精神性だったりするわけなんですが。 それで、自分の心への問いかけと答えを出すことをいつもいつもやってきて、 (ソファに寝転んで、ぼーとしてることが多いから、傍から見るとただの怠け者なんですが) <より良い心の状態>を求め続けてきた結果、今がある・・・という訳です。 そもそも、芸術は、自己表現ですからね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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