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臨床の現場より

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 手紙の名前に、見覚えはありませんが、苗字はよく知っていました。そうして、思い起こすと、彼女の母の名前であることがすぐに分かりました。
 アパートの自分の部屋に入り、封書を開けると、彼女とよく似た几帳面な字で書かれた手紙と、さらに別の封書が入っていました。

 前略、OOさま

 あなたと面識はございませんが、あなたのことはずいぶんと娘から伺いました。いきなり居なくなって、さぞ戸惑われたことでしょう。この手紙を出そうか、ずいぶん迷ったのですが、娘の希望もあり、ペンを取りました。
 私の娘は、あなたのところからこちらに帰ってから、1週間で天国へ旅立ちました。
 病名は急性骨髄性白血病と言うのだそうです。
 大急ぎで治療をするべく、こちらの大学病院へ、そちらの病院から紹介状をいただいたのですが、息つく間もない出来事でした。
 娘の葬式も過ぎ、遺品を整理していると、あなたへの手紙が出てきました。
 歯茎や、鼻から絶え間なく出血している最中に、これを書いていたのだと思います。私たち家族でさえ、ほとんど病院で付き添いもできなかったほど状態が悪かったのに、あの子が唯一残したのはあなたへの手紙でした。
 母として、女としてこの手紙はあの子の父と兄には見せずに、あなたに送ることが正しいことだと信じています。
 娘を愛してくれてありがとう。

 なにも考えることができぬまま、今度は彼女が書いた手紙の入った封書を手に取りました。宛名の部分に私の名前が書いてあり、封はしてありませんでした。

 OOさん。
 わたしが突然いなくなってびっくりしていることでしょう。あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないのでしょう。

 今、私は実家の近くの大学病院に入院しています。ここは無菌室で、透明だけど波打っていて外の景色が良く見えないビニール製の衝立に覆われています。私はいまこの2m四方の空間から一歩も外に出られないのです。

 何から話せばよいでしょう?
 1月のはじめから、どうも体調が悪くて、いつ病院にいこうか考えながら過ごしていました。実は、あなたとの最後の日の少し前に、私は何度か近くの病院に行って、検査をしてもらっていました。しょっちゅう熱が出たり、生理の血が止まらなかったりしていたので、不安だったのです。あの前日、私はあなたの大学病院に紹介状をもらっていました。最初の先生は、もしかしたら治療が必要な病気かもしれないとおっしゃっていたので、ある程度覚悟はしていました。
 病院にいくや否や、担当の先生からすぐに家族を呼ぶようにお話をされました。たまたま私の兄が名古屋に単身赴任していて、すぐに来れる状態だったので連絡をつけました。
 兄が車で到着するまでの間、いくつか追加で緊急検査をしました。骨髄穿刺や再度の採血、心電図、レントゲン、尿検査などです。ここまで書けばあなたにはもうお分かりのことと思います。
 兄と二人で先生から受けた病名告知は、「急性骨髄性白血病」でした。それも極めて急速に進行しており、即刻の入院治療を勧められたのです。その時には、もう私は長く生きられないことがわかってしまったのです。
 兄は、私の両親と連絡をとって、いろいろと短時間で検討した上、とにかく実家の近くで治療することになりました。先生も、入院したらしばらく出れないかもしれないし、家族が近くにいるほうが良いと、すぐに紹介状を書いてこちらの病院に連絡をつけてくれました。
 兄に、あなたのことを話し、とりあえずあなたの部屋にある私の日用品を持って行くのを手伝ってもらいました。大学病院に行く前から、なんとなく私はもう駄目なような気がして、さらには病気のことを言うとあなたと一緒にいる時間がなくなるような気がして、黙っていたことを許してください。あなたの部屋に断りも無く兄を入れたことを許してください。そして、突然いなくなってしまう私を許してください。
 
 いつもあなたと行ったあの店の前を通ったとき、ふとおかみさんの顔が見たくなり、少しだけ挨拶しました。あなたが好きだった海老のマヨネーズソースとトマト、最後に作ってあげたくなって、机の上に並べておきました。時間が無くて、あれだけしかできなかった。
 
 多分、私の命が残り少ない事を知って、神様はあなたに逢わせてくれたに違いありません。私の命が無くなるその瞬間まで、いいえ、天に召されてもあなたを愛しています。
 いつもいびきかいて寝てたね、大好きだった
 神経質そうに眼鏡を拭いてたね、大好きだった
 ご飯食べるの早くて、いっつも私が食べ終わるの待ってたね。
 宵っ張りの朝寝坊で、ぎりぎりまでベッドから出なかったね。
全部全部、大好きでした。大好きです。
 
 あたしがいなくなっても、ずっとずっと元気でいてください。
 忘れないよ、忘れない。

 あなたが話してくれたあなたの実家のそばの公園の桜、見に行ってみたかった。いつか一人でも誰かとでも行ったら、ほんの少しだけ私を思い出してください。

 愛しています。

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最後のほうは、涙で目が曇って読めませんでした。
そんなふうに、私の恋はおわったのです。
今でも、彼女の面影はありありと私の胸に浮かび、風化しない笑顔とともに私の中で生き続けています。

最後に一度だけ彼女に言いたかった。
愛していますと。




 
 





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最終更新日  2010.09.28 14:18:08
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