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世の中に戦争は存在するのだろうか。戦争と言われているものは権力者が力を誇示するための大量殺人ではないのか。裸の王様が誇らしげに自らの股間をさらけ出しているだけである。
わたしたちサピエンスは「ヲコ幻想」と「私有幻想」によって生きているだけで、それ以外に人生に価値も意味もない。個人個人によってその幻想の質と大きさは違うのだろうが、根本はみんな同じである。 わたしたちサピエンスは何百万年も前に、直立二足歩行するようになって混乱が起きた。その解決策としてパンツをはくようになった。それが「ヲコ幻想」のはじまりである。パンツをはいたサル(栗本慎一郎氏の表現)である。そこから長い年月を経てサピエンスは定住農耕にたどり着く。育てる、耕すという行為に依ってわたしのものという意識がめばえ、「私有幻想」となる。わたし以外はみな泥棒(敵)ということになる。 サピエンスはみんな「私有幻想」は拡大させなければならないと思い込んでいる。そこにしか人間の価値と意味がないから。そのためにはひとと人の結びつきを強くする必要がある。その手段が「国家」であり「民族」であり「宗教」である。権力者はこれらを使って民衆を一つの「私有幻想」にたばねる。権力者と民衆が同等の「私有幻想」を持っていると錯覚させる。そして大量殺人の道具として民衆を使うのである。どんなに科学兵器が発達しても人が戦場に行かないと、ナショナリズムが保てないから民衆は戦場に行かされる。殺す方も殺される方もたまったものではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.06.19 22:05:39
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