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カテゴリ:物語
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「もしもし」 後ろから肩を叩かれ、我に返って振り向くと、のっぺらぼうが立っていた。ちょっとひるんだが、腰を抜かすほどのことはない。ここはあの世なのだから。 「天国行きに乗るのですか」 わたしは料金はいくらなのだろうと気になった。お金なんかもっていない。 「そんなものがいるわけないでしょ、パスポートと入国査証を呈示ください」 「パスポートとビザ、そんなものがいるのか」 「あたりまえでしょ」 のっぺらぼうの口の部分だけが動いているのが、奇妙でもありおかしくもあった。 「パスポートがないのなら降りてください」 のっぺらぼうが思いのほか強い力で肩を引っ張った。 狭いヨーロッパでもあるまいし、国境なんてあるのかよ、天国以外行くとこがあるのか。 「そのパスポートはどこに行ったらもらえるんだ」 わたしはバスを降りながら大きな声で聞いた。 のっぺらぼうは体の向きを変えないで、ろくろ首のように首だけひねって顔をこちらに向け、表情を変えずに言った。 「そんなの役所に決まっているでしょ」 そう言い残して、バスに乗り込むと、バスは音もたてずに走り去った。まるで空中を滑っているようであった。わたしはバスが視界から消えてもその方向をしばらく見ていた。天国に行くのか……彼らもみんな死人なんだろ、暗くは見えなかったけど……天国はやっぱりパラダイスなのか。 役所なんてどこにあるのかと、あたりを見ていると役所ビルと書かれた看板が目に飛び込んできた。こんなに近くにあったのか、気付かなかったな、入り口を捜して歩いていると、ロンドンの街を思い出した。霧に包まれたようなはっきりしない街並みが似ていた。歩いていると役所入り口と書いてあるドアを見つけた。役所にしては粗末な入り口だなと思いながら中に入った。中は寒々としていた。思わず体がぶるっと震えた。カウンタも案内表示もない。殺風景そのものだ。 だれもいないのかと奥の方に目をやると、ひとがいる。とりあえず声を掛けてみることにする。 「あのそこの方、ちよっとよろしいでしょうか」 今までの自分の言い方にしたらずいぶん遠慮した言い方だ。思わず笑ってしまう。奥からの返事はない。少し強めに声を掛けたが、返事はない。もう一度、それでもこちらを見ようともしない。どこの役所も同じだな。市民を待たせるのが当たり前だと思っていやがる。昼休みでもないのに弁当でも食っているのか。 「そこのあんた!聞こえているんだろ!返事ぐらいしろよ、まったく」 声がオペラ劇場のように響いた。少しせき込んで苦しくなった。 「なんか用ですか」 こっちを振り向くでもなく、やっと返事をしやがった。 なんか用ですかだと、用がなかったらあんたなんかに声かけるか、こっちは役所の人間が大嫌いなのだ。心の中で毒づいた。 「パスポートの申請に来たんだ」 役人はやっとこちらを向いた。おお、顔は三つ目、鼻と口はない。さっきのっぺらぼうを見たからもう驚かない。 「それなら申請窓口に」 言われて右に首を振ると【パスポート申請受付】という札がかけられた机があった。なんだ隣にあったのかと、椅子に座る。係はいない。また大きな声を出さなくてはならないのかとうんざりしていると、さっきの三つ目が前に座った。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.15 15:37:55
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