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カテゴリ:物語
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「われわれの審査基準は…… わたしは話を聞きながら、じっと彼の顔を見ていた。髭は立派にみえたがバクーニンやクロポトキンには及ばない。いまはないけれどわたしの髭とは比べようもない。むしろ平凡な官吏の顔だ。彼の仕事は死んだ人間、彼に言わせればあの世からこの世に来た人間を天国に送ることだ。天国には種類がたくさんあって、そのためにいろんな行き先のバスがあったのだ。彼の説明では天国が何種類もあるのは、先にに死んだひとが後から来たひとと会いたくないと言ったら、あとから来たひとは別の天国へ行くということだ。天国では争いを避けるのが最重要ごとであるという。夫婦だって死んでもまたあの人と一緒になりたいというひともいるだろうが、たいがいの夫婦はもう一度一緒になりたがらないものだ。特に女性はそうだという。彼はわたしのことにも触れた。あなたはイエニーさんと一緒にというけれど、彼女は拒否していますよ、二度とあんな貧乏はしたくないのだと。 そういうことなのだろうか、わたしは寂しい気持ちになった。 彼が言うには殺人者と被害者は絶対に同じ天国には行けない。殺人者は天国には行けないのではないかと言うと、そんなことはない。ここはひとに罰を与えるところではないからと言う。だったらわたしなんかはすんなり天国へ行けるのではないかと問うと。彼は困った顔をして、まあねと言葉を切った。そして話を切り替えるように、基本的にはここの業務は簡単なのだが、たまに自分が死んだと自覚できない人がいるので、困ることがあるという。最近も、バス旅行でバスがトンネルに入ったとき、とんねるの天井が崩壊して一瞬でペチャンコになってしまった。バスに乗っていた仲良し二人組はおしゃべりの途中でその事故に遭ったから、死んだとわからずまだおしゃべりを続けている。早く天国に移してやりたいのですがねと彼はため息まじりに言った。 話しているうちに、いつの間にか相手は長髪の男になっていた。今どきの人ならこの男がジョンレノンに似ているというだろうが、残念ながらわたしはその男を知らない。 「あなたはもうお気づきかもしれませんが、ここでは時間というものがありません。ご自慢の懐中時計を見てください。針は進んでいますか」 わたしは時計を取り出して、見た。針は10時58分を指したままだった。 「故障ではありませんよ、ここはそういう世界なのです」 わたしは時計を懐にしまった。時間がなくて特に不便はないものかと思った。 「審査の結果ですがね、あなたは天国ではなく、天獄に行ってもらわなくてはなりません」 「天獄、それは地獄とどう違うのだ」 「それは大いに違います。ここには地獄はありません、あの世の人はみんななにか勘違いしている。地獄はあの世にはいっぱいあるでしょう。口に出すのも恐ろしいような地獄もあるでしょう。ここにはそんなものはありません」 「しかしわたしがなぜその天獄なのだ。天国には行けないのだ。納得できないな」 長髪はしばらく間をおいて口を開いた。 「あなたの思想が悪いわけではありません。だから迷ったのです。あの世を覗いてみますか、大量の死人が出そうな状況なのです。そうなれば対応するのが大変なんです。もしあれでも使われるともうどうしょうもない、ここに死んだ自覚のない人があふれかえるでしょう。あれは一瞬ですから、いやあの時もひどかった」 「しかし……」 わたしの言葉はよどんでしまった。 「あなたの思想も利用されたというか、巻き込まれてしまったのですな。あの世の人間、サピエンスにです、かれらは何万年も変わっていないのですよ」 「何万年も」 「そうですよ、ここから見れば時間というものが圧縮されてよくわかるのですよ、そこは変わっていない」 わたしは黙って聞いていた。 「国家、民族、過去、これが三位一体となって、みずからの存在をおびやかし続けていいるということです」 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.04 21:51:03
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